僕はかつてBEE-HIVEという、アミューズが主催していた若手女性アーティスト養成プロジェクト、について書いたことがあって、それをきっかけにしてそのプロジェクトに参加していたそれぞれの女性アーティストに深い関心を抱くようになった。
動画で観る彼女たちは、まだ少女、あるいは子供といっていい年代であり、動画の中の時間を少し先に進めた未来(観ている僕たちにとっては過去)には、そのほとんどがプロの歌手としての表だった活動を止めてしまう。
あるグループは解散と同時に事務所からさえ全員が離れてしまい、あるグループは実際に活動を止めてからなお2年近くの間名前を残し続け、Perfumeがブレイクが始まった2007年の7月に正式に解散が発表された。
Perfumeと同時期に上京してきた地方のタレント養成スクール出身の少女たち4人の内、一人は早い時期に地元に戻り、一人は女優やモデルの道を進み、一人はロックバンドのボーカルとして活動を始め、一人はソロ歌手としての道を模索し始めていて、そのいずれもが、一枚のCDも出すことが出来ないまま、プロジェクトでの活動を終えていた。
僕はその様子を「夢が砕け散って欠片になった」という文脈で書いた。
かつて存在した夢はくだけてしまって欠片となり、かつてのキラメキだけを動画や、リリースする幸運に恵まれた者たちはCDの中に残した、と。
今、彼女たちのほぼ全員が、まだ活動を続け、続けようと戦い続けている。
そして、戦いの結果を残しつつある。
ビジネスの規模という点では大小があるし、メジャーなステージもあればごくマイナーなステージもある。
一人でスポットライトの中心に立てる者もいれば、スポットライトから外れた場所で歌い、踊る者もいる。
でも、それぞれが立つ場所は、戦い、勝ち取った居場所である、という点でまったく公正であり、公正さの下で平等である。
彼女たちの活動を、戦いを、まだその道程が半ばに過ぎないことも知らずに「夢」と書き、あまつさえその「夢」が砕けて、欠片しか残さなかった、と書いたことを僕は反省しなければいけない。
自分の尻を、フルスイングで蹴り飛ばさなければならないのだ。
反省して、お尻をさすった上で、僕はまた彼女たちの現在について、書きたい、と思う。
彼女たちが獲得すべきなのは、常に「現在」であり、過去に囚われることも、未来でさえも「現在」に比べたらさして重要ではないのだ、ということを。
ごくわずかな機会ではあるけれども、僕は彼女たちの「現在」を視ている。
その圧倒的な力量を、可能性を、磨き上げられた技術を、なお鍛え上げられようとしている実力を知っている。
二度と「遅すぎた」と、悔やまないように。
遅れて参加した者の、罪悪感や後悔や無力感にとらわれないように。
豊かな才能が、長い歳月をかけて練り上げられていく様を、見届けたい、と思う。
豊かな才能が、我々の未だ知らない領域に深く踏み込み、新しい一歩を記す様を、すでに成熟した分野の王道を歩む様を、脇道でしたたかに生き残る様を、見届けたい、と思う。
愛すべきなのは、才能であり、才能の器としての人物であり、それらが成し遂げようとする、かつてその形では存在しなかった、どこか新しい表現形式だ。
それが感じられないものに、僕は関心を抱かない。
似て非なるもの、に時間を費やすことも無い。
「才能」を見届けるには、僕の残り時間はあまりにも少ないのだから。
あと10歳。
それだけでも若かったら。
自分の年のとり方を悔やむ日が来るなんて思わなかった。
これをまだ成長と呼べるといいのだけれど ▽・w・▽