お二人へ。


あれは良い芝居でしたね。


あの場面で彼が泣き叫ぶのは、ただあの親子のことを思っての美しい気持ちからだけ、ではないんですよね。


彼も湯川と等しく、感情というものにあまりにも無頓着で、彼にとっては一度捨てるつもりだった人生の残り時間を大切に思う誰か達のために使う、という論理的な帰結である犯罪トリックが、赤の他人の人生を犠牲にして手に入れた「幸せ」を決して受け入れられない人(が抱く感情)によって崩されてしまった「不可解さ」「理不尽さ」に向けられた涙でもあったわけです。


そしてその「不可解さ」「理不尽さ」は、彼の「頭脳」の優秀さを正しく評価しなかった世界の姿そのものであって、彼はまたしてもそれに敗れてしまう。


あれは、絶望的なまでの「悔し涙」だったんです。


男って、ただ悲しいから声を上げて哭くことって、あまりありませんよね。

男が慟哭するときは、悔しい時、のような気がします (猫)