これから書くことはあくまでもかしゆかの、Perfumeのメンバーとしてのキャラクター、キャラクターから発生するパフォーマンス上の特質、についてであって、樫野有香さんという女性の実像みたいなものとは直接には結びつかないものです。


21歳を迎えたばかりの、現実の樫野有香さんがどんな人物であるのか、どんな女性であるのか、という点については、個人的にあまり興味がわかない、ということもあって、あまり書かないようにするつもりです。


ここで僕がこじつけた、あるいは妄想して描いたかしゆか、は内側を覗いたように見えてもせいぜいが「」付きの「樫野有香」さんについて、であってこの「樫野有香」さんというのは、「女神」における「西脇綾香」さんのようなもの、と考えていただけたら、と思います。


リアルにおける西脇綾香さんでもPerfumeのあ~ちゃんでもある「西脇綾香」さん、という程度の「樫野有香」さんとかしゆか(のっちの場合にはこの「大本彩乃」さんに相当するキャラクターが存在しないというのが特質)。


Perfumeのメンバーにして、扇で言えば要、あ~ちゃんという奔馬を御せるただ一人の乗り手、自由児のっちに規律を教え込む寮監、ある意味Perfumeの良心。


でも、僕にとってこの人ほど妄想の翼を広げにくい人っていません。


Perfumeのメンバーとしてのかしゆかのキャラクター像が、僕にとってわかりにくくなっている原因のひとつに、あ~ちゃんやのっちのようなキャラクターとしての「時間の連続性」が感じられない、ということがあります。


あ~ちゃんやのっち、というのは、たとえば古参世代の、あるいは元Perfumeファンの過去のレポを読んでも、BEEカメ映像の中の彼女たちを見ても、ストレートに現在の二人にイメージが結びつきます。


ステージ上のあ~ちゃんはいつだって一所懸命に歌い、踊り、MCでファンを和ませ、時に暴走し、時に「Perfumeを見捨てたらダメですからね」と、ファンを脅迫?します(「見捨てないで」云々は、最近になって使い始めた言葉ではなく、意味付けや重さは違ってもずいぶん前から使っていたもの、らしいです)。


のっちはいつでもどこでものっち。


神がかり的な天才少女「あやのちゃん」は、おそらく2003年頃をピークにして少しずつ「現在」ののっちの中に埋没していき、Perfumeのエースの礎を築き上げ、消滅しようとしていますが、それは成長であって変質ではありません。


BEEカメ映像の中で一人で喋り続け、黙り込んでホワイトボードに何やら書き込み、歌い、はしゃいだかと思えば、売れない自分たちの将来に思い悩む姿を見せる様子は、幼いながらもストレートに現在ののっちのイメージに繋がっています。


では、かしゆかは?


古参世代、元Perfumeファンの過去レポの中で伝えられるかしゆかは、ラジオ番組の中でやたらと強気で攻撃的、声の出し方が現在とは全く違うかしゆかは、BEEカメ映像の中でくどいほど「ゆかはぁ~」を繰り返し、何をしていても本当には楽しくなさそうだったかしゆかは、いつから小悪魔的な要素を自ら楽しむ、他の二人から一歩下がった様子でパフォーマンス上におけるバランスを取る「大人の女性」に変わっていったのか。


……わかりませんよね、そんなこと(笑)。


直接会ったこともなく、その頃の彼女たちにまったく気づかずにいた「ポリ新参」世代のファンの一人に過ぎない僕に、分かるわけがありません。


分からないことについては書かない、という書き手の分を守って今まで書かずにいたのですが、今回はその禁を少しだけ破ります。


なぜなら、かしゆかというのは間違いなくPerfumeのメンバーとして唯一無二の存在であり、創始者の一人であり、彼女を(少なくともある程度は)理解していないと、Perfumeの本当の魅力は、いつまでたっても分からないままだ、と思うからです。


でも、難しいんだよなこの人、あ~やだやだ、なんで毎年この人の誕生日なんかあるんだろう ▽―w―▽