なぜ起きたのが午前中かと言うと、ネットの動画で(本当はいけないのだ)分割されたPerfumeライブのあれこれを観ていて寝たのが明け方近く。


ライブDVDを持ってはいても、なにしろ奴らは一度観始めたらついつい最初から終わりまで通して観てしまうことになる兵(つわもの)、曲者ばかり。


一曲か二曲くらいで分割してあるネットの動画なら、と思ったおれが甘かった。


昨年暮れのRIJ(出会いの場)のものを観たら止まらなくなり、過去のサンリオライブ、亀戸サンストライブ、代々木、九段下、また代々木、九段下、GAMEツアー、GAMEツアー。


同じ曲でも時期によってパフォーマンスの意味合いが少しずつ違っていてついつい。


どの時代のPerfumeも本当に素晴らしい。


いつの時代でもあ~ちゃんはあ~ちゃんであり、かしゆかはかしゆかであり、のっちがのっちであるのにあらためて感心する。


ただ、大人になった3人はなんだかんだいって、中学生時代よりも少しずつ屈折しているんだな、とは感じる。

Perfumeは主観的な「売れるまでの時間」が大層長く、客観的に見れば売れ始めたのは若い。


ブレイクまでプロデビューからでも7年を要し、武道館、代々木体育館、ホール&アリーナツアーを制覇しつつある彼女たちはまだ20歳にしか過ぎないのだ。


現在のPerfumeからは、公けの場にいる時にはあくまでも「Perfumeの」あ~ちゃんでありかしゆかでありのっちであり(のっちは前から少し違ってたけど)、というステイトメントの徹底、キャラクターの演じ分け、が剥がれ落ちてきている。


彼女達のすぐ奥のあたりに、20歳の女性としての「私」が常にうっすらと見え隠れするようになった。

そこにいる「私」は、女神でも天使でも、もちろんエースでもない、普通の、凡庸な欲望を抱え込む女の子たちに過ぎない。


Perfumeの魅力はやはり何らかの形で(ライブステージ、リリースイベント、ラジオ番組やテレビ番組)ステージに立った時に最大限に発揮されるのだな、うん、アイドル⊃ミュージシャン、アーティストで。


だから、20歳の女性としての彼女たちについておれは知らない。


恋をしたっていいし、無茶をしたっていいし、嫌な女の子、問題点の多い社会人であっても仕方が無いかな、と思うし、取り返しのつかない重罪でさえなければ多少のミステイクも(犯罪とは限らず、他者危害排除の原則に乗っ取った上での各人の幸福追求権、を彼女たちは当然保証されているわけだから)ありだろう、と個人的に思う。


彼女たちはいつか「元」Perfumeになる。

おれたちがPerfumeファンのままでいても。


一市民としてのささやかな幸福を、彼女たちがなるべくたくさんストックできるようになればいいなと、それにしてもどの会場でも「ポリリズム」の盛り上がりは半端なもんじゃねーな、なんてうとうととしながら考えていると、眠る時間を失う羽目になる。


結論として、寝る前にPerfumeに触れてはいけない、ということで。

お腹空いた ▽・w・▽