もちろん、あ~ちゃんです。
2007年9月12日に発売された
ポリリズム
は、周囲の期待通りの売上げを見せ、オリコンウィークリーランキング初登場で7位にチャートイン。
31位(ファン・サービス〔sweet〕)という自己の最高位を大幅に更新すると共に、楽曲内容も「アイドル然としたガールズユニットが歌うクラブ系音楽」ということで注目を浴び、世間的に見れば風変わりなダンスパフォーマンスへの評価も相まって、Perfumeは結成から8年、上京から5年、メジャーデビューから3年の時を経てようやくブレイクを果たします。
「奇跡」と呼ぶに相応しいこのブレイク、「幸運と偶然」に彩られた、鮮やかな軌跡を描いているように見えます。
ただ、実際には彼女たちがなぜ、どのようにしてブレイクのチャンスを手に入れることが出来たのか、についてはほとんど明らかになっていません。
え?
木村カエラさんのラジオ番組でのヘビロテからだろうって?
もちろんそれも重要です。
でも、一部のことでしかありませんよね。
Perfumeの売り出しにもっとも効果があっただろうACCMについても、僕たちは、ACジャパン、旧・公共広告機構が何者であるかもまったく知らないに等しく、その年度キャンペーンの規模も、年度キャンペーンが「幾つ」行われているかも、それにかかる費用についてもまったく知らないままです。
ACジャパン、ついこの間(2008年度中)までは公共広告機構という名前で知られていた団体は、その正会員に日本中の大・中規模な有名企業のほとんどを加えた巨大組織です。
ACジャパンの活動を支える企業は、会員社、と呼ばれます。
その数およそ1200社。
これら会員社からの会費のみによって運営されているのがACジャパンです。
正会員約1200社の顔ぶれは↓
http://www.ad-c.or.jp/acpartner/regular_list.html
正会員を構成する業界は
建設業、食品・飲料など製造業、繊維工業・化学工業、金属機械工業、その他の製造業、卸売り・小売業、金融・保険業、不動産業、運輸業、電気・ガス・熱供給、サービス業、教育・学習支援、情報通信業、放送業、新聞・出版業、広告業、経済・文化団体。
つまり、日本の経済活動のほとんど全て、です(農業系が入っていませんが)。
これらの企業が、年額一口12万円の(わざわざ〖何口でもけっこうです〗と但し書きがある)会費を支払って活動を支えている、日本の経済活動ほとんどそのもののバックアップを受けている団体、それがACジャパンです。
そのACジャパンが、年度中に行うキャンペーン作品の内容は多岐に渡ります。
広告活動の三つの柱、とされているのが
全国キャンペーン
地域キャンペーン
支援キャンペーン
であり、原則として7月から翌6月まで一年間を通じて「AC会員のメディア各社が広告を発信していきます」。
Perfumeが抜擢を受けた2007年度の
リサイクルマークがECOマーク。
は、温暖化防止をテーマにした「全国キャンペーン」で、企画制作はNHKと、もう一つTYOという企業グループ→ http://group.tyo.jp/index.php 、おそらくはその中に含まれる六ッつの広告企画制作プロダクションのどれかが、実際に我々が目にしたCMの製作を担当しているはずです(2007年度のキャンペーン作品は全部で23!)。
僕たちが「伝説」として知る
「木村カエラさんがエレベーターの中の映像でチョコレイト・ディスコをたまたま見かけ、それをきっかけに自分のラジオ番組の中でしばらくPerfumeの曲を集中的にかけ、それを聴いていたCMディレクターによって、ACCMのキャンペーンキャラクターに抜擢された」
という意味の経緯に登場するCMディレクターというのは、これらのプロダクションに勤める現場制作スタッフの方なんでしょう。
そして、誤解の無いように言っておかなければならないのは、この経緯というのはほとんどそのままなんだろうな、ということです。
大人の世界なんだから、もっと、なんかこう薄汚い裏工作があったんじゃねーの?みたいな意図は何もないので念のため。
ただ、現場製作スタッフが(いくら現場では責任重大な立場とはいえ)、この子たち、ラジオで聴いたらいい感じだし、カエラちゃんもいいって言ってるし、と言ったからといってこれだけの巨大キャンペーンへの抜擢が即決となるはずはないだろう、と。
普通に考えるなら、出演オファーは数組に行われ、オーディションなり面接なりプレゼンなりが行われて、なんやかんやあって、の抜擢だったんだろうな、という気がします。
その際の決め手の一因には、間違いなくCMディレクターさん(急に丁寧な呼び方に)の意向があったのでしょうけれども、さらに言うならば、Perfumeが所属する事務所がアーティスト系芸能事務所の雄『サザンと、福山くんと、ポルノグラフィティだっているんだからね』でお馴染み(いつお馴染みに)アミューズであったことが、とても有利に働いただろう、と思われます。
Perfumeのブレイクの経緯、について自分なりの考えを記録として記しておきますと
2006年のコンベス発売前後にユニットの活動継続についての議論があり
現場スタッフからの(必死の)要請もあって継続が選択される
継続するならば、と結果を求められ、結果を出すならばサポートが必要という意見のやり取りもあり
結果(売上げアップ)=(継続+サポート)×売り込み
みたいな冷たい計算式があって
「ファン・サービス」シリーズの誕生
と、なった。
「ファン・サービス〔sweet〕」は、オリコンウィークリーランキング最高位が31位、TBS系音楽ランキング番組CDTV内のチャートでウィークリー27位を獲得。
それまでの最高位を記録していた「コンピューターシティ」の売上げを上回ります。
この週間順位30位前後という数字は、先輩グループであるBuzy、BOYSTYLEの前に厚く立ちはだかった売上げの壁、であり自身の最高位を記録したからといって活動が問題なく継続される、という記録ではありません。
ただ、現場サイドはかなり手ごたえを感じていたのではなかったか、と思います。
このCDシングルは完全限定生産された枚数の内、多くを発売直後から売り上げています(完売は2007年秋頃らしいです)。
もう一つ、何か大きなきっかけが欲しいところに、木村カエラさんによる発見、支援とCMディレクターによる発見、起用オファーがあった。
そしてアミューズは、そのビッグチャンスをあれやこれやで物にした(肝心なところに限ってなんやかんやだの、あれやこれやだの)。
物にした時点で。
ACCMへの起用が決まり、そのテーマソングも中田さんプロデュースで制作されることが決まったその時点で。
チームPerfumeが、ブレイクへの確かな手ごたえを感じ、期待が高まっていたのであろう時点で。
ブレイクを目指す曲のイメージを、パフォーマンスの中心をメンバーの誰に託そうかと考えられた時点で。
チームの期待と、上層部の計算と、大組織の気まぐれと、ファンの願いと、自分たちの夢を担うに相応しいと自然と選ばれたのが。
我らが、あ~ちゃんです(断言) ▽・w・▽