1958年生まれのマイケル・ジャクソンは、1964年生まれの僕にとっては同時代を生きたスーパースター、というよりも、いつもいつもちょっと先の世界を走る、やっぱりちょっと上の世代の歌手、というイメージがある。


同時代のアイドル、スーパースターと感じられる世代の人たちって、たとえば芸能人でいうととんねるずとか田原俊彦さん(二組とも’61年生まれの学年)とか、あの辺りの世代の人なんじゃないかって思う。


ここら辺のわずか数年の世代感の違いっていうのは、その時代を生で知らない若い人たちにはちょっと伝わりにくいかもしれない。


マイケル・ジャクソンって僕たちの世代にとってはスーパースターとして突っ走る姿そのもの、というよりはその余韻や彼が走って先を急ぐその砂塵とか土煙みたいなものを感じる存在。


なんかいつの時代でも彼の活躍をインスタントには感じられなかったような気がする。

ダンスやアフリカンアメリカンの人たちの音楽に特に深い関心があったわけでもない音楽的雑食少年だった僕なんかには特に。


どちらかというと、日本の男性アイドル歌手の人が彼の影響をモロに受けた活動をしている姿を見ることのほうが多かった。


アルバムでいうと「Off The Wall」の頃は郷ひろみさん(’55年生まれ)がNHKの週末夕方の若者向け音楽番組で、その後「Thriller」とかの頃には田原俊彦さんがそれぞれマイケル・ジャクソンの曲のカバー曲を披露してような気がする。


あと「BAD」の頃のとんねるずのパロディビデオとか(これがなかなか見応えがあったりする、とんねるずだってトークしながら食事をしたり若手芸人いじりだけやってきたわけじゃない)が印象に残ってる。


お洒落にかっこよくダンスをしながらソウルミュージックを歌う若者だった彼は、どんどんスーパースターの階段を駆け上がっていった。


数多くの不名誉なスキャンダルにまみれながら。


階段を駆け上がるスピードというのは音楽的な評価だけではけっして得られない種類のもので、彼はいつのまにかスーパースターという言葉だけでは足りない「キング オブ ポップ」なんて呼ばれ方をするようになっていた(最近のことですよね?)。


その呼称には、「米国のポップ歌手マイケル・ジャクソンさんは」という報道には、彼という人間個人の個性、優れた音楽家としての、優れて技巧的だった歌手としての価値、なんていうものは含まれていない。

まさに「アイコン」になってしまったんだな、と思う。

そして、そのままで死んでしまった。


彼の不慮の、そしていつかこういうことが起きるんじゃないか、と薄々予想されていた死によって、彼や彼の音楽的な活動に関する評価というのは「神格化」されて「どこがいいんだろう」とか「この時代の曲に較べてこの時代の曲は」といった相対的な評価、みたいなものが失われてしまう。


ジョン・レノンがそうだったように。


それってすごく、すごくもったいないことなんじゃないか、という気がする。

彼のファンだったわけでもないし、同時代性みたいなものも感じないんだけど、ずいぶんと長い時間彼の音楽を聴く機会に恵まれた。


「Thriller」も「BAD」も、それ以降のポップな作品もいいんだけど「Off The Wall」あたりの曲を若い人に聴いて欲しいな、と思う。

彼の歌のうまさを確かめてみてください (・~・)