1982年に発表された「ナイロン・カーテン」は、77年の「ザ・ストレンジャー」78年の「ニューヨーク52番街」といったジャズを基調にした都会的な作風や80年の「グラスハウス」のようなロックサウンドから離れ、当時のアメリカ合衆国社会が抱えたさまざまな問題をテーマにして制作された重い内容になっていて、「52番街」あたりからビリー・ジョエルを聴きはじめた僕には、あまり心に響かないアルバムとして感じられました。

1982年、僕は18歳になる年で、まだ高校生。
アメリカ合衆国という大国の国内問題を身近に感じられるわけがありません。

最初にシングルカットされた「プレッシャー」は、当時流行っていたニューウェイブの影響でも受けたか、みたいな曲調でしたし、ビリー・ジョエル本人は当時から「自分にとってのサージェントペパーズ」みたいにこのアルバムについて言ってたんですけど、僕が素直にいい曲だな、と感じられたのはこの「アレンタウン」だけ。

この曲にしてもアメリカ合衆国における産業革命発祥の地、近代化の象徴でもあった『アレンタウン』が、現代になって工業都市として寂れ、工場の多くが閉鎖されるという厳しい経済環境の中で、「この『アレンタウン』でおれ達は生きていくんだ(生きていかなきゃいけないんだ)」と決意する人々を描いた歌、なんだそうで、ポップで都会的なセンスに溢れた「僕の好きなビリー・ジョエル」からは(地理的にも)遠く離れてしまっています。

ビリー・ジョエル自身、新興住宅街の中で生まれ育っている人ですから(ニューヨーク市サウスブロンクス生まれ、ロングアイランド育ち)、山手育ち、いいところのお坊ちゃんというわけではないにしろ、寂れた工業都市の悲哀、みたいなものとは無縁なはずだし、シリアスな内容を歌っているはずにしては、ライブの時にいやに楽しそうに歌ってるしな~という感じでした。

作者であるビリー・ジョエルの思惑や制作意図みたいなものなんて軽くシカトして、僕はこの「アレンタウン」という曲を「ナイロン・カーテン」というアルバムを好きになるための取っ掛かりとして繰り返し聴いていました。
フォークソングとか、ニューミュージックを聴くみたいに。

45歳になった僕は、相変わらずビリー・ジョエルの制作意図なんて皆目わからないまま、「でもおれ達はアレンタウンに住んでいる」と歌うこの曲に、ちょっぴり共感を感じながら観ています。

生まれ育った街に何も郷愁も感じないまま「でも、俺はこの街に住んで」年を取ってきたんだな、と。
▽・w・▽

…は!ヨーロッパ系のディスコサウンドなんてすっかり忘れてた!!