あ~ちゃんの背中が遠い。
「かしゆか」は、無言で綾香の後を歩いていた。
「ゆか」がぱふゅ→むからいなくなった。
あ~ちゃんたちにはあ~ちゃんたちの夢とか、目標とかあるよね。
わたしにもあるよ。
でもたぶん、それって一緒じゃないから。
楽しかった、と告げて「ゆか」はいなくなった。
あんな顔、はじめて見た。
あ~ちゃんのあの顔は、ずっと忘れられないな。
辞めるという「ゆか」の言葉を聞く綾香の顔は、青白く張り詰めて、固く強張っていた。
そのまま立ち去る「ゆか」とは逆方向に歩き出し、「かしゆか」はただ一人、二人の間に取り残された。
自然と綾香を追いかけていた。
もしかしたら、その時だけ、ほんのしばらくの間だけ、綾香はそばに誰かがいることを拒んでいたのかもしれない。
でも、独りには出来なかった。
綾香は振り返ることなく、すごいスピードで歩き続けた。
「かしゆか」も、その背中に声をかけることなく、ただ追いかけた。
みんな驚いてる…。
すごいスピードで廊下を歩く二人の少女の姿はすれ違う人々を必ず振り向かせた。
事情を察した講師の何人かが、綾香に声をかけようとするのを「かしゆか」は目で抑えた。
綾香は意志が強く、ということはつまり頑固できかん気が強く、こうと決めたら周りの人の言うことを、たとえそれが指導者である講師の言うことでさえ受け付けないことがあった。
あ~ちゃんは、何か大事なことを考えてるんだ。
きっと、自分の何が悪かったか、「ゆか」の夢や目標って何か、これからのぱふゅ→むがどうなるのか、色々と考えて考えて、身体中に言葉が溢れて、だから今誰かに声を掛けられたら、あ~ちゃんはきっと爆発してしまう。
その爆発が、綾香自身を傷つけることを「かしゆか」は恐れた。
そばにいて、周りの人間が不用意に綾香に近づかないようにすることで、「かしゆか」は綾香を守った。
だって、と「かしゆか」は考える。
あたしには、それしか出来ないから。
あたしは、他の人たちみたいに上手に歌が歌えない。
あ~ちゃんや「ゆか」や、「シナ」ちゃんみたく歌えたらどんなに気持ちいいだろう。
でもあたしには出来ない。
ダンスは好きだけど、きっと一番になんて一生なれない。
なんであたしはぱふゅ→むにいるんだろうってずっと考えてる。
答えなんて出ないけど、でもそのことを考えることは止めちゃいけない気がする。
綾香の背中を追いかけながら、「かしゆか」は想念の海に沈む。
あたしだけじゃ何にも出来ない。
歌も、ダンスも、あ~ちゃんや「ゆか」と一緒じゃなかったらユニットオーディションになんて受からなかった。
この声も嫌いだ。
顔も嫌いだ。
自分が嫌いなんだ。
ママが望むようなあたしにはなれないから。
「かしゆか」の中にある海の水は、暗く、重い。
それは、時に「かしゆか」を深い深い場所にまで引きずり込もうとする。
黒い感情の汚泥は、「かしゆか」を心地よく包み込む。
その時。
綾香が突然歩くことをやめて振り向いた。
その目は涙に濡れて赤く、視線はまっすぐに「かしゆか」の目を捉える。
志向性の強い光が、「かしゆか」の海に刺し込み、黒い汚泥は吹き飛ばされる。
浮上。
怒りと絶望の表情を漲らせて、綾香は「かしゆか」を睨んでいた。
綾香の強い視線は、時に大人でさえ怯ませる。
しかし、「かしゆか」が怯むことはない。
怖い顔してる。
でも、あたしは引かない。
一歩でも、1cmでも、1mmだって引かない。
引いちゃったら、あやちゃんから遠くなってしまうから。
あやちゃんを独りにしてしまうから。
あたしが独りになってしまうから。
あたし一人で出来ないことがたくさんある。
きっとあやちゃんにだってある。
でも、一緒にいれば何か出来るかもしれない。
何かが起こるかもしれない。
だからあたしは、あやちゃんを守る。
あやちゃんと創ったぱふゅ→むを守る。
あたしの中にある、真っ黒でどろどろしたものは、汚いけど強い。
それだって使う。
あたしは誰かを守る時だけ強くなれる。
睨みあるようにして立つ二人の少女。
涙に瞳を濡らした、ややふっくらとした少女と、輪郭もパーツも小さな顔をしたやせっぽちの少女。
ふっくらとした少女が声を出す。
練習しなくちゃ。
やせっぽちの少女が答える。
スタジオが閉まるまであんまり時間がないよ、急がないと。
二人の少女が走り出す。
さきほどとは逆に、やせっぽちの少女が先に行き、ふっくらとした少女が追いかける。
やがて二人は肩を並べ、手をつないで走る。
スタジオの扉から光の中へ飛び込み、くたくたになるまで歌い、踊り続ける。
これから先、何年も、何年も、ずっと一緒に…
▽・w・▽