チームPerfumeの前身、チームBEE-HIVEスタッフは、一体いつ頃からPerfumeのメジャーデビューを準備し始めていたんでしょう。


TJCの篠木雅博さんのところに話が持ち込まれたのが2004年の9月頃らしい、ということはインタビューで明らかにされていますが、それより前から動き始めていなければ、篠木さんのところまではたどり着けなかったはずです。


以前にも書いたことの繰り返しになりますが、BEE-HIVEとしては先輩ユニットであるBuzy、BOYSTYLEが二組ともテイチクレコードのIMPERIAL RECORDというレーベルからデビューしていることから考えても、Perfumeのメジャーデビューの引き受け先としてそこを当てにしていた、と考えることが自然なような気がします。


しかし、全国インディーズ期のシングルは「ドーナッツ」も「モノクロ」も売り上げが1000枚に達しないほどでしかありませんでした。


すでに一度ワーナーミュージックジャパンから「COLOR」としてメジャーデビューを果たし、ポストSPEEDとして期待されていた経歴を持つBuzyと、アミューズ全国オーディションでグランプリを獲得した(1998年)三人に、村川絵梨を加えて結成され、早くからテレビ出演も果たしていた(その時は別名義)BOYSTYLEと較べたら、当時のPerfumeには売り上げも含めて何の実績もありません。


のっちがアミューズ全国オーディションでグランプリを獲得した、という実績が確かなものだとしても、2000年の話であって2004年ではもう新鮮味も薄れてしまっています。


Perfumeのメジャーデビューが2005年までずれ込んでしまったことの背景には、おそらくテイチクIMPERIAL RECORDからのデビューという既定路線が何らかの原因で消えてしまった、という事態があったのではないか、と思われます。


敷かれていたはずのレールから外されたPerfume号の引き受け先を必死に探すうちに、浮かび上がってきたのが、以前アミューズとビクターが共同出資して設立したリワインドレコーディングスで制作部長をしていたことがある、というだけの関係でしかなかった、TJCの篠木雅博さんであった、という感じでしょうか。


広島から上京させることが決まった時点で、いずれメジャーデビューさせることは決まっていたでしょうから(お金を掛けて育成するわけですし、提携先の各スクールへのアリバイ作りのためにも)、メジャーデビューの引き受け先が決まらないという事態は予定外の出来事だったはずです。


これは想像でしかないのですが、おそらくは既定路線に沿った形でのメジャーデビューであれば、「ドーナッツ」以来少しずつPerfumeの個性に合わせる方向で進化しつつあった楽曲のスタイル、「ビタドロ」から「ションションション」へと続いた少しだけ大人びた、切ない恋を歌うPerfumeサウンドがその時点で実現していたんじゃないか、と思います。


「コンドラ」ではのっちをメインにフィーチャー、しかしシングルCDはかしゆかセンター続行の「ビタドロ」、「イミテ」「アトラクション」ではあ~ちゃんが歌いだしのソロパートを担当する、というように、この時期Perfumeの楽曲は様々なスタイルを試しているかのようです。


しかもPerfumeのメンバーは、少女期を駆け抜ける途上にいました。


「ビタドロ」を出した時点でPerfumeは高校一年生。

色違いのワンピースで少女時代の不安を歌うのには、ややトウがたった年齢になっていた、と言えるかもしれません。

顔や身体つきも成長しています。

彼女たちの実年齢にイメージを合わせ、メジャーデビュー後の活動を踏まえて、強く音源を被せる必要のない、より明確な生歌による披露を考慮された新しいスタイルが。


「ションションション」ではなかったか、というのが僕の考えです。


MIKIKOさんも、そのような楽曲の雰囲気を感じたからこそ、「カウンターアトラクション」「ファンデーション」の2曲ではスタンドマイクを使用した、一つの場所に足を落ち着けての歌唱披露、を振り付けに取り入れたのではないか、とも考えられます。


しかし、実際にはメジャーデビューを引き受けてもらうことの代償のように、レコード会社側から提示された「リニアモーターガール」というキーワードをメインに据えた楽曲を作らざるを得なくなり、想定外の路線として考案されたのが、「近未来三部作」だったんじゃないか、だからこの3曲は、他のどの時代のPerfumeサウンドからも独立したイメージを持つんじゃないか、なんて、この時期のPerfumeについて考えると妄想も暴走しがちです。


とにかく、Perfumeは、2005年に「リニアモーターガール」でメジャーデビューを果たします。


Perfumeのステージパフォーマンスにおけるリップシンク=「口パク」の起源は、この曲に求めることが出来そうです ▽・w・▽