僕たちPerfumeファンがかしゆかについて語る時、必ずと言っていいほど話題にのぼるのが、甘い声と毒舌のキャラクター「黒ゆか」。


昨年大晦日に行われたカウントダウンライブで、「ジェニーはご機嫌ななめ」のあ~ちゃんコールを指導する際に、僕自身が目撃した、強引且つ無慈悲な様子は、もし逆らおうものなら「ふ~ん、これでも?」と、胸元によく切れそうな薄い刃のついたナイフを突きつけられたような心持ちになるだろう、いわば脅迫、もしくは強制。


これが噂の…と、と思って顔の表情を見ると、2階立ち見席からでも分かる無邪気な笑顔。
もちろん、19歳の女性が幼女のような無邪気な笑顔のままでいられるわけはありませんから、計算された表情だったわけです。
この笑顔でいるうちに、言うことをきいてね、みたいな。


言うことをきかなかったらどうなるか?
うん、怖い目に遭うんだよ。
とても恐ろしい目にね。


でも。


「黒ゆか」って本当にいるんでしょうか?


かしゆかは、普段は、あの甘い声でしゃべる印象そのままの、ふわふわした綿菓子みたいな女の子で、子猫みたいに無害でただ愛らしいだけなんでしょうか?
それが、何かのスイッチが入った時だけ「黒ゆか」が発動される?


違いますよね。


かしゆかはかしゆか。
きつい物言いの、情け容赦の無い、強引で、結構自分の意見にこだわるところも、普段のかしゆかそのまんまなんじゃないか、と思います。
それを「黒い」と言うのなら、多分普段からかしゆかは真っ黒です。


僕たちが勝手に、あの顔を見て、あの声を聞いて、あの華奢な体躯を見て「かしゆかは、女の子らしくて、可愛くて」なんてイメージを抱いているだけだ、と思うんです(さすがにPerfumeファンを続けるうちにみんなが気づくんですけど、はじめのうちは、ね)。


かしゆかは「論理」の人です。


物事を考えるときに論理を積み上げていって結論を導き出し、分かりやすい言葉で自分以外の人にそれを伝えることの出来る人です(或いは、伝えようとする人)。


そして、「論理」を重んじる人というのは、「論理的でない人」や「言動」に対する苛立ちを常に抱えて生きています。


ちょっと考えれば、簡単に分かることなのに、なぜ?
これだけ言葉を尽くして説明しているのに、分からないって何?


僕たちが「黒ゆか」と呼ぶ、バッサリと他人の意見を切り捨てる一面、グサリと相手の胸に突き刺さるような的確な批評をする部分では、別に隠しキャラでもなんでもない、おそらく本人からすれば至極当たり前「論理的に考えれば当然の帰結」を述べているのに過ぎないんじゃないか、と思います。


ただし。


かしゆかは、頭のいい女性ですから、自分の外見や声、雰囲気が相手の目にどのように映っているか、そのイメージが自分への印象にどのような影響を与えているか、については充分に理解しているのだろう、とも思います。
それを利用するだけの度胸も備えているだろう、と。


僕はその度胸、というか自身のイメージをライブトークやラジオ番組のパーソナリティとしてうまく活用するしたたかさ、は「黒い」と言ってもいいんじゃないか、と思います。


外見に似合わぬきつい言い方をする時があるから「黒い」んじゃなく、外見に似合わぬきつい言い方が相手にどのように聞こえるか、を計算した上で使い分けられるから、「黒い」んだ、と。


だから、カウントダウンライブで、下北方式をあ~ちゃんコールの定番にしようという自分たちの提案に従わない一部の観客に対する「こういう人たちがいるから、あ、こういう人たちってそういう意味じゃないですけど」という言葉が、恐ろしかったんだ、と。


まだライブ参加経験のほとんどない僕なんかが言うのもあれですけど、「GAME」ツアーで初参戦を果たすファンの皆さんには、かしゆかの提案にはなるべく素直に従うようにおすすめしたいです。


「論理の人」だけに、無茶な要望は出しません。
時々、ライブ参加者全員でハンカチ落としをしたい、とか、年越しの瞬間にはでんぐり返しをしたい、なんていうややのっち方面に歩み寄った痛いことも言いますけど、基本的には常識をわきまえた淑女です。


彼女の言葉が、まだ鞭であるうちに、笑顔で喉元にナイフを突きつけられる前に、「オッケー!」と、シークレットメッセージ(どうでもいいことですけど、この曲でシークレット、という言葉を使ったことを中田さんはぜったいに忘れていると思う)並みのお返事をしておきましょう。


かしゆかの「調教」は、このようにライブから遠く隔たった日々を送るファンにさえ行き届く。


鶴亀鶴亀▽・w・▽