あいたたた、どうも先週末から胃のうしろ、背中の辺りが痛くて身体がだるい。
食事をした後はとくに。
今日はまた平日休みなのでずっと家の中にこもって、何をしているか、というとずっと『ポリリズム』をCDで聴いてます。
去年の9月13日、初めて買ったアイドルのCD。
名曲ですよね。
今更ですけど。
シュワ~っと始まるイントロからもう来た来た~~って感じで期待感が高まって、そこから始まるあ~ちゃんの歌声…
エコロジー、リサイクル、といった大きなテーマに恋愛感情をリンクさせている歌詞の世界観、その歌い出しが母性に溢れる『女神』の声によって始まる、というのはあらかじめはるか昔から用意されていたかのようにピタリとはまって、たとえ他のPerfumeのメンバーの声でも代用することは出来ません。
中田さんが歌詞の振り分け、どのパートを誰の声で構成するか、にどんな意図を持っているのかは語られたことがないので推測するしかないのですが、この曲の場合、母性を感じさせる曲のテーマを担う歌詞の部分はほとんどあ~ちゃんのソロパートと重なっています。
というか、あ~ちゃんが歌うとそういう風に聴こえるんですよね。
かしゆかの声は、この歌詞の中ではもっとも中性的に聴こえ、のっちの声は自分を「僕」と呼ぶ少女のように聴こえます。
『ポリリズム』の歌詞に出てくる一人称「僕」が出てくるのは三箇所、そのうち二箇所をのっち、残る一箇所を歌っているのがかしゆか。
二人称『キミ』が使われるのも三箇所、一人称「僕」と、二人称「キミ」は必ず対となって使われています。
「キミ」の場合、二箇所をあ~ちゃんが、残る一箇所をのっちが歌っています。
一人称が「僕」で、二人称が「キミ」だから、この歌が男性側からの視点で歌われているか、というとそういうわけでもなくて、
あの光景が 蘇るの♪
という言い回しは、多くの場合女性が使うものですよね。
じゃあ、自分を「僕」と呼ぶ少女が好きな相手「キミ」に語りかけているのか、というとそれも違う気がします。
そもそも「僕」と「キミ」が別々の存在なのか、ということすら曖昧。
こじつければ、「僕」と「キミ」の2人が登場する世界なのかな~と読めないこともないのですが、そう考えて見てみると、今度は生物としての個体差、みたいなものが感じられないんですね。
「僕」と「キミ」の間に物理的な距離がまったく感じられません。
「僕」という存在が確かにあって、その対極、向かい合わせの場所に「キミ」がいる、という風には聴こえず、存在として重なりあっている、或いは混ざり合っているように聴こえるんです。
生物としての個体差、人間としての個性、男女の性差、そういうものがすべて未分化の状態のまま
ほんの少しの 僕の気持ち
や
とても大事な キミの想い
が
巡り巡る♪
様子を観察しているのは、果たして誰なんでしょう?
自分としては、この歌詞に出てくる「僕」と、『コンピューターシティ』や『エレクトロ・ワールド』に出てくる「僕」が重なってきてしまうんです。
『リニアモーターガール』を歌い踊ることで創造された
完璧な計算で作られた楽園♪
『コンピューターシティ』で、愛を知って戸惑い、
街行く猫だって 空を飛んじゃう街♪
『エレクトロ・ワールド』の崩壊、終末を目撃した「僕」。
そこにも「キミ」は、いたんです………
僕、キミなんて歌詞の世界ではよく使われる言葉で、たまたまなんだろう、ということも、旧作にとらわれない中田さんが今更過去の代表曲『三部作』のモチーフを歌詞の世界へ盛り込むことなんてありえない、ということも分かってるつもりですが。
もんのすごくファンの勝手な深読みをしてしまうと、崩壊してしまった「エレクトロ・ワールド」から断片化された意識のみの存在として生き残った「僕」が見る夢、としての『ポリリズム』。
……
……
……妄想レベルですね。
エコ・リサイクルのメッセージソングでもある『ポリリズム』の中では、「僕」も「キミ」も、環境問題について無関心ではない主体をあらわすための人称なんだ、ということを踏まえつつ、こんな妄想をしながら作品を楽しむのもファンだからこそ、ということでご容赦を。
「僕」と「キミ」の物語が、どんな世界へたどり着くのか、サウンド面だけでなく、歌詞の世界を深読みするのも、また楽しい鑑賞法かな~なんて思います(・~・)