「病気にはなっても病人にはならない」 | Maki Murakami Official Blog

1月20日(水)



先週、ある昼食会に参加。


12・1月生まれの誕生会の集りに


新春をイメージして


鶯色の着物で出かけました。





偶然お隣のお席だった方のお話しに


テーブルの皆がくぎつけに。




大学生のときに医療過誤の被害で半身不随に。


(それでも、その後のリハビリを


どれほど頑張られたかが想像できるほど


本当にお元気でおいででした)




そのために大学の学びも中断。


その後、慶応大学を修了。


70代で東大大学院で入管法をご専攻。


82歳でなお現役で博士論文に取り組まれ


その間に


7つの癌の手術。


周囲からの強いご希望で


自叙伝などの執筆をされ、


ご自身、外国人タレントの事務所をかまえて30年。


同時にあちらこちらで常任理事などを依頼され


関わる団体も本当にさまざま。




ご一緒にピアニストのお嬢様もご参加でしたが


癌治療の際には


食事療法を徹底して行われたそうです。


どんなにご心配だったことでしょう。





壮絶な闘病生活をされて


その方が繰り返されたのが


「病気にはなっても病人にはなるまい」と思った


というお言葉。





医師の方の回診があっても


いつもベッドを抜け出しておられたそうです。




目の前の苦難を


何十倍、何百倍にもして跳ね返す


強靭な精神力そのものの


一言一言の重みに


皆息をのむように聞き入っていました。




どこへ行っても、


コミュニケーション能力全盛の


今の世の中ですが


そんな


ともすれば、


小手先のスキルに陥りがちな能力を


凌駕してあまりある


その方の「存在感」




本当のコミュニケーションというのは


スキルなどではなく


自分自身の生き方、


存在自体なのだ


ということを具現化されたような方でした。





病気にはなっても


病人にはなるまい。




それは、なぞらえて言うならば、


狂気はもつけれど 狂人にはならない。


苦情を言い、クレイムはするけれど、クレイマーにはならない。


消費はするけれど 消費(するだけの)者にはならない。


やや比喩としては適していないかもしれませんが





時限性のある状況、状態には冷静に直面するけれど


(もちろん、冷静に対応できないことも


圧倒的に多いことでしょう)


その状態が常習化し、


その状態に甘んじることはしない。


という気概が感じられます。






自分はピアノが大好きで


ピアノを弾くけれど ピアニストではない。


茶道を嗜むけれど 茶人ではない。


ある種の思想はもつけれど 思想家ではない。





時限性のある行動はするけれど


それが常となるプロフェッショナリズムには


到底至らない。


この種の日本語表現の


裏側にあるような




病気にはなっても


病人にはなるまい。




その日の誕生会の


素敵な出会いのおかげで


何歳になっても


いつになっても


なんでも始められる


なんでもできる


そんな気持ちを持つことができました。




感謝の気持ちを持って


この感動を


たくさんの方にお伝えしたいと思います。




クロネコちゃん