陛下の決断により悲しい年号変化ではなく、お祝いムードでの年号変化。
しんどいからやめると囚われかねない理由だったので本当に大変な選択だったと思います。
簡単な役割ではないという事。

24時間年中無休で天皇陛下という国の象徴であるという事。

自らの意志と国の意志という葛藤があったと思います。本当にありがとうございました。

秋篠宮殿下のお考えや改革志向も必要ですが。
変化にしても【変えるべきモノ・変えてはならないモノ・変わるモノ・変わらないモノ】という4つの変化を頭で整理して行うべきだと感じます。

私にとっては2010年どん底の時期に書いた子供たちへのお手紙。
これが全ての根源です。
平成への感謝は、厳しくどん底の中でこそ見えた希望の光が子供たちへの想いだった事を教えてくれた環境。そして子供たちへの想い=未来への想いを言語化出来た事です。

今は2010年、お父さんは、32歳です。
日本には特に戦争もなく、食べるものも十分にある。
よその貧しい国に比べれば、とても豊かだといえるだろう。

 

しかしいま、この国の人達がみんな幸せかと聞かれたら、かならずしもそうではないと思う。

たくさんのモノがあふれ、おいしい食事はそこらじゅうにある。

便利なことやスピード・安さに、みんなが魅力を感じるようだ。
暮らしそのものは、とても快適だけど、どこか虚しいと感じるのはお父さんだけではないだろう。

 

心がとても貧しいとおもう。

 

多くの大人が未来に希望を抱けなくなりつつある。
子ども達は無邪気に笑っているけれど、

その笑顔がいつまで続くのかと思うとお父さんは不安でならない。

君たちが大人になったとき、この世界の人々の心がもう少し豊かであってほしい。

生きているのが楽しく幸せであってほしい。大人もこどもも。

 

お父さん一人できることは、たいしたことではないかもしれない。
でも、お父さんは君たちが生きていく世界を少しでも変えていきたくて、仲間を集めて新しい活動をはじめることにしたよ。

 

すべてのこどもたちがいつまでも笑っていられるように。

君たちのこどもも、そのまたこどもたちも、

ずっと幸せでいられる日本であるように。