1年前は本当に苦しく未来が見えない時期でした。
このまま終わるんだろうな・・・としか思えず。
借金、会社の経営状態、選挙で目的を失いどこに進めばいいのかわからない。

そんな中で周囲で選挙にそこまで関わらなかった人たちが急に幹部だと言い出して内部分裂が起きた。
何をどう判断していいのか?わからない時期に勝手に話が進む。
村上栄二の選挙を振り返り、あの時にあれ以上はできないのに、わからない人たちが勝手にモノ申しはじめ、チームや仲間批判をし、自分の感情をコントロールできない。
そして、そういった判断の怒りを理解されないまま、チーム内部から私の態度に対する批判があった。
それに対して怒りにより自分を見失う。

でも、今となってみると必要な時期でした。

最近の議員不祥事を見ると、厳しく話してくれて、離れず未だに支えてくれる仲間に感謝しかない。

 

必ず1年後には完全復活すると決めてやるべき事は一つ一つを積み重ね、形にしていくことでした。
復活の足取りを見つめ直していきます。


9月  負債確定(個人、会社)現状認識。


(チーム組織維持をしようとする人と解散しようとする私の考え方と、賛否やお礼参り含めて翻弄される)


10月 負債分析と同時にコンサルタント開始
金融機関から断られ、国金融資で首の皮一枚助かる。


次回の市長選挙に出ないなら人は離れると一部の支援者に言われ、その市長選挙で追い込まれて苦しんでいる自分の弱さから逆恨みしていた。)


11月 短期コンサルタント及び借金申し出から当座支払いは終える。


(子供の預貯金を借り、肉親に助けられ、「日本、福山市の未来の為に」と言いながら自分の子供や肉親の未来さえも構築できていない自分に辟易

12月 会社、個人返済計画見通し完了と実行


(福山市に居て活動しろと借金返済メドを立たせる事をしなければならない事を無視して選挙最優先の支援者に辟易。さらにこの頃、福山市長を選んだのは福山市民だからこそ、私は枝広市長を応援するというと「裏切られた・逃げた」と誹謗中傷を浴びる。)

1月 2020おおさかを実行し、未来の輪郭を明確にし経営改革実行


(これまでの人口増によるフォアキャストの観点ではなく、バックキャストの観点を学ぶために福山市立大学研究生を目指す

2月 村上栄二誕生日会と事業譲渡実行


(誕生日会で決定的な亀裂、村上栄二の誕生日を純粋に祝おうとする人と、政治活動資金にすべきだという人、チームや友達、仲間の悪口を散々言われて、私も一部支援者から離れるという決断

3月 事業譲渡完了(負の事業売却、短期コンサルタント終了)


(この時期は政治的な話は橋下徹講演会を実行するという青写真を描く。それより会社経営に集中していた)

4月 市立大学研究生合格と経済リポート連載開始、自然塾開始


(企業改革を実行し、その後政治活動的なモノも目鼻立ちをつけ始める。元支援者との軋轢があるモノの私に直接連絡なく、周囲の支援者崩しに躍起になる事が耳に入るも怒りはなし=私に向けられたことはどうでもいい。私の怒りは周囲の人の悪口になると出てくる

5月 橋下徹講演会5月中旬より販売を本格化 ポスター設置も同時に動く
事務所も中山さん協力で手作り事務所が出来る。


(この時期から組織内で私の耳に直接届けず、誰が誰の事を言っているという話や検証なき一方的な思い込みで話が広がる)

6月 会社経営で本格的に軌道に乗り始め、新規事業と現在の政治活動をリンクさせる構想開始


(波に乗り始め、大きなうねりと共に様々な課題が顕在化し始める。)

7月 橋下徹講演会チケット販売本格化と支援者の会が開かれ自分を見失う時期。
チームに評議員制度導入し対応。


橋下氏より街宣車使用制限が掛かる。
東京都議選で街宣車活動に制限が掛かり、これまでの計画した販売手法が一変し大混乱と共にチケットを売らないといけない時期に3日間支援者が会合を行い、支援しないという人まで来たものの、色々と見えたのでスッキリ)

8月 橋下徹講演会販売専念


(一度お会いした近大福山高校の先輩が本気で動いてくださった。これまで先輩後輩ってなにも感じたことはなかったが、初めて有難みを痛感。感動しました)

9月 橋下徹講演会完売 年内目標すべて達成

こうやって見ると本当にいろいろとあった。
でもお陰様で見えないものが見えるようになったし、怒りは遠い場所に存在し、感謝・有難みを実感する日。
来年度の目標を明確にしたし、きちんと一歩ずつより力をつけていく一年にしていきます。

そして衆議院解散の話が出てきた。
私も本格的に活動します。