主催者の岡田先生です。
歴史を振り返り、現代の思考で考えてみる「時空塾」
今日はめちゃくちゃ深い学びになりました。
有難うございます。


藩 政改革  方谷が元締役(今の大蔵大臣)に就任したときの1849年(嘉永2年)、松山藩は10万両(約600億円)の借金があった。

そして年間の公債依 存度は71%に及んでいた。
藩主の板倉勝静より藩政改革の全権を委ねられた方谷の改革の柱は、一般領民を富ませることによって経済を活発にし、それによっ て藩が豊かになることを基本に置いた。


そして、1857年(安政4年)方谷が元締役を退いた時、借金はゼロになり、10万両(約600億円)もの余剰金を 抱える黒字にした。
この他、贈賄を戒め賭博を禁止したり、学問所、教諭所、寺子屋、家塾など75ヶ所も造ったり、里正隊という農兵を組織化したり民政、教 育、軍事等、藩政全般にわたり大きな改革に取り組みこれを成し遂げた。


このような改革の断行に対して、さまざまな抵抗があったが、これに対して方谷がとった行動は

公明正大であること  高給を辞し、俸禄を中級武士並みにとどめ、収支をすべて公開した。

率先垂範  藩士に農地開拓を督励した際、    自分が山間に移り住み農事に励んだ。


方谷はこの「理財論」の中で、財といえば数字にのみとらわれる事を戒め、財の外に立って、大局を視野に入れることの重要さを説き、賄賂や奢侈を厳しく排して、政治に厳正に臨むことが肝要であるとしている。

(要約すると)
国家の経営にあたり、国家全体を正しく導いてゆける者は、 胆識を持ち、大所高所に立った判断をするものだ。
小さな局面での理屈や、目先の判断に惑わされる事はない。

これを「事の外に立ちて事の内に屈せず」とい う。
いわんや、様々なしがらみや、私利私欲に影響されるなどはあり得ない。
それがどうだろう。
最近の財務担当者は、目先の経済問題にはまり込み、失敗を重ねている。