日本の潜水艦はとても静か=スクリューの技術が抜群に良い。だから他国は簡単に真似できない。


日本刀は小さく細い、海外の刀はとても大きなものになっている。なぜか?
日本刀は固い鉄と柔らかい鉄で混ぜて作っている。
日本刀が生まれた理由は日本の刀を磨く砥石にある。
日本の砥石は柔らかいが世界は固い砥石になっている。
なぜか?
柔らかい砥石は世界は地層深い場所にあるから硬い石ばかりだが、
日本は地震で造山帯があるのでが砥石となる材料が地層深い場所ではなく比較的浅い場所で取れるために砥石の性質が日本の鍛冶職人の文化を形成した。


一つのモノを生むのに日本の技術と文化が結集されているのが日本のモノづくり。磨く砥石が無ければ日本刀は存在しない。

一瞬で世界一の鉄砲生産国になった日本は日本刀を作る技術があり、鉄を鍛える技術があった。
人も一緒で一言喋るには如何に普段経験しているのか?で変わる。
日頃の積み重ねと一緒である。


知徳体
一般常識とは知るに当てはまり、知徳に当てはまるのは教養、それを活かすのが体である。
体験という行動が伴っていないと教養にならない。


才能は徳の召使い。
才能の土台に徳が無いと才能は人脈で終わる。
おとな塾でハウツーをやっても意味は無く、土台となる徳の部分である積み重ねが必要な事である。
人間関係の場合、才だけではなく徳が無いと付き合えない。
偏差値や才能は自分で得たものと勘違いし、徳は人との関係の中で生まれるもの。
かたじけないという言葉は申し訳ないだけではなく、相手に対する尊敬の気持ちがある。
日本の徳は常に相手がある。
アメリカなどは才に集中している。
人の能力が人間だと思っている側面が強い。
日本は人と人との間に存在するのが日本人の考え方。
アメリカは自分の考えが正しいがアメリカの考え方
日本は相手の考えを尊重したり譲ったりして考えるのが日本の考え方


徳という修身の授業があった。
それは人間関係の作り方を教えるのが徳という考え方である
安保法制に関しても、「安倍が悪い、政府が悪い」と一個人を批判するのが日本の若者になっている。
本来の日本人の考え方は「こんな厳しい時代の中で私は何が出来るのか?」と考える事こそが日本人的考え方だ。
お金で幸せを図る場合は額で考えても限界は来る。

一般常識を得る事で社会に活かされるモノとは何か?

教養とは具体的に言えば、
お茶をどこまで注ぐのか?どう出すのか?は一般常識。しかし、毎朝来る時間帯に気付かうのが教養。

知識・見識・胆識という分け方をする。
行動をして自分でたくさん失敗し、経験すれば徳に近いものになる。

一般常識の技術論にならないようにする。
才能の下にある徳を感じたら、冗談を含めていろんな話が出来る。
言っている事を汲んでくれる人というのが人徳があるになる。
備わっているのが徳だから、点数化出来ない。
一歩目の勇気が10年経ってもあるものか?
徳とは積むものだ。

戦争は良いとか悪いではない。
戦争が悪いという人は世間もそこになびくのであり、自分の逃げ場を作っている。
言い換えれば、「自分たちを守るという考え方は良い事だが、では安保体制の話になるとダメだ!!」と論理破綻している現実だ。

了解・承知・承りました。
本当の言葉を知って積み重ねる事が徳を身に付ける事になる。

世界遺産で学ぶ
日本の世界遺産登録数は19(文化遺産、自然遺産4)となるが富士山は?文化遺産である。

廃墟と遺産の違いとは?
遺産という任命されたモノであり、人は当然の如く指名されたモノで通り過ぎていないか?
視点を変えてみる事で意識は変わる。

UNESCOの考え方は、今の日本を作りあげる事に必要だったものが遺産。
周囲の人達が継続してきている想いなどではない。

柱だけが残るパルテノン神殿と伊勢神宮で見る民族の違い。
柱だけ残ってもOKという国柄と毎年きちんとメンテナンスをして残る日本の国柄。
そういった意識を持つ日本がUNESCOに合わせないといけないのか?
伊勢神宮は遺産ではなく未だに沢山の人が来るので世界遺産を断っている。

日本は文化財保護の体系として維持されてきた。
だから法隆寺や姫路城などと比較して軍艦島を同列に考えるのはどうなのか?

今までの見方から変えていく事が必要である。
グローバルという言葉に踊らされている。
世界に通じるという時に日本を消しているのが今の日本人。
モノの見方を変える事で見えないモノを見えるものにするのが学び。

閑谷学校。
江戸時代に作られた普通は藩校制度で武士の為の学校が主流だったのだが、民間学校が閑谷(しずたに)学校である。
こういった日本の教育意識など学ぶ点を忘れてはならない。