14時から中村和裕と福山市のあるプロジェクトでお話をしました。

これからお互いにノルマを課して動いていこうと思いますアップ

赤塚健太郎講師のお話でした。


運動を記録する時に録画以外にモーションキャプチャーという運動記録の関心がある。ダンサーにとって振り付けは伝える事は企業秘密であり.ダンサーにとって必ずしも必要なモノとは言えない。

考えてみれば昔のダンスや音楽がなぜ?再現できているのか?考えもしなかった。ダンスにも記譜はあったのだ。



バッハの時代にはバッハの楽器があり、その当時の音とは全く違ってくる。

日本人は言葉を整然に分けるがヨーロッパは踊りと音楽が余りにも深く関わっているから分ける事が大変難しい。

クラシック音楽の器楽が音楽扱いされるのは18世紀くらいから。

なぜならば言葉が無いから何かを具体的に語る事が出来ず、人間が楽しむためだけのモノだと蔑まれた。



ルイ14世はギターを巧みに演奏し、この時代は高貴な楽器であった。

舞踏の才も恵まれる。踊りを文化芸術に昇華させ、アポロン(太陽神)に扮する事で政治的(絶対神)なモノも示していた。

貴族の踊りはマナー振る舞いが大切で踊りのレッスンで学んでいた。

社交世界では踊りは不可欠であった。


音楽と踊りの記譜はどのように書かれているのか?

踊りの記譜は天井から見た形で記譜していく。

見ている人に訴えかけるという表現ではなく、秩序を見せている。動作が高度にパターン化され型が重視されている。

ダンスとはジャンプの時にストレスではなく、着地した時にストレスを感じる。

踊りとは身体の装飾であった。バロック時代として分かるのはカツラを付けていた。動作の彩を考えると歩くと言う事を魅せる形にしていた。

当時は高く飛ぶ踊りは下品な踊りであり、低い踊りは上品な踊りとされた。



ヨーロッパで音楽と踊りの結びつきが深いのは社交場マナーが深く関与したと言われており、日本では音と踊りが分けられた事は社交場というより日本の踊りは自然崇拝の神様へのお祈り主軸に置いたものだったのか?実際には何が違ったのか?


舞曲と舞踏は伝統的なモノは音楽と踊りは分けられない。

西洋音楽に限定した時に楽譜だけで輸入すると分離可能と捉えられる。

舞曲と舞踏を律儀に分けられる事が出来る。