松島の熊谷和奏(わかな)ちゃんを再び訪ねた。

最初に会ったのは震災後間もない4月。入学式を終えた6歳の和奏ちゃんが真新しいランドセルを背負い、仮土葬場に眠る父に報告をする姿を取材した 。明るく健気に振る舞う、和奏ちゃんの姿に心を打たれた。

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それからおよそ5カ月。和奏ちゃんは母の秀子(よしこ)さん、兄の幸輝(こうき)くんと共に、亡くなった父和幸さんの車が発見された場所で両手を合わせていた。遠くから地震が発生した午後2時46分を知らせるサイレンが聞こえてくる。父がいなくなってから半年が過ぎた。

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「パパは車をおいて、あなたたちのいるあっちのほうに向かったんだよ」
母にそう言われて、和奏ちゃんは手を合わせながら、半年前の寒い雪の日、父の到着をずっと待った避難所の小学校の方向を見た。

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あの日、マグニチュード9.0の地震が発生した直後、秀子さんは夫の和幸さんから電話を受けた。「津波が来る。子供たちを連れて、(避難所の)小学校へ行け。自分も後で行く」

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和幸さんは4日後に発見された。亨年31歳だった。

秀子さんと幸輝くんは遺体安置所で和幸さんと再会した。「僕のパパです」と、8歳の幸輝くんが涙を見せず父親の遺体を確認すると、見守っていた警察官たちの号泣が安置場に響いたという。

しばらくして親子3人は自宅があった場所に行った。住宅の基礎が残るだけのその場所で、和奏ちゃんは必死に何かを探そうとしていた。隣にあったはずの家がはるか彼方に見える。地面からは海水だろうか、常に水が湧き出し、一帯をぬかるみにして、行く手を阻んでいる。

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「何も残っていないですよね」と秀子さんが寂しそうにつぶやいた。その時、和奏ちゃんは母の手を握っていた。

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4月下旬、秀子さんは仮土葬場で眠っていた和幸さんを、ようやく見つけた市外の火葬場で荼毘に付し、葬儀を行った。「どうしても家に連れて帰りたかった。子供たちのそばにいさせたかった」と秀子さんは振り返る。

和幸さんの遺骨は今も家族と一つ屋根の下にある。お墓は注文殺到のため、完成の目途は立っていない。和幸さんの遺骨の入った箱には和奏ちゃんが書いた手紙が詰まっている。ほとんどは「パパ、会いたいけどしょうがないよね」という内容だという。

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ある日、津波で全てが流された自宅跡地で、奇跡的に和奏ちゃんの人形が見つかった。幼い頃はその人形が大のお気に入りで、見当たらないとぐずって両親を困らせていたほどだという。

「パパのおかげかも」と和奏ちゃんが笑顔を見せた。そのそばで和幸さんの遺骨と遺影が見守っていた。

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9月13日 ロイター東京支局カメラマン 花井亨


みなさんはどう感じるでしょうか?

これから日本だけでなく世界は大きく変わります。


アメリカは300兆円の政策引き締めを決定いたしました。

ヨーロッパのEUは崩壊へと向かうでしょう。

日本は原発訴訟を世界中から起こされます。


CRASH&BUILD・・・日本がいま何が出来るのか?ではなく、

身近な私たちがいま横にいる仲間・家族・恋人に何が出来るのか?

とても大切な事だと思っています。

被災地で学んだ事は防災設備ではなく、繋がりが人を助けるのです。



しょせんお金は基準でしかないはずであり、価値を見出すものは・・・

「行動」以外ないのです。



政治家・経営者・農家・主婦・子ども・お年寄り・・・

全ての人に役割がある。


今だからこそ、大切な存在を大切にしていきましょう。

世の中はお金です。

お金は人と人が繋ぎ合わさるもの。


だからこそどこにお金を遣い、どのような意志の元でお金が活かされるのか?

改めて本日、宮城大学に行けない事になった私は考えてみようと思います。


私だけに・・・にならないように。

今からの被災地の方たちの生活に対し、増税が住民悪にならないように・・・。

大切な「心」の存在を訴えましょう!!


先日、フジヤマドラゴンのシフトで店長からの呼びかけに対し、みなが反応しました。

こういった小さな行動からでいいんです。

私はとてもとても嬉しかった。


自分たちの事も大切・・・

でも他者に対し、自分たちの行動をとれるという事で、

本来の時間・お金・労力の使用が見えてきます。

お金も目的も出口と入口が肝心です。


みんな有難う。