今日は療養のためにお休み。昨日の記事の通り、ゴロゴロしてられないし、雨だから遊び回ることも出来ない…。
散歩がてら、近所の図書館に行って本を借りてみました。
『冒険遊び場がやってきた! 羽根木プレーパークの記録』
羽根木プレーパークの会編 1987年初版(現在廃版)
現在冒険遊び場のプレーリーダーとして活動している以上、一度は目を通さねばと思っていた本です。大学の図書館にも無かったのに、まさか一番近い図書館にあるとは…。
落ち着いて読もうと思い、これまた近所の喫茶店へ。ちょっぴり贅沢なひと時を堪能しました。
こういう静かな喫茶店が大好き。
集中して2時間、じっくりと目を通しました。ノートにメモをとりながら、自分自身の経験を照らし合わせながら。
もう20年以上前の本なのですが、今現在、私自身の考えていることや悩みなんかが、この本に凝縮されているということに気付きました。安直な言葉ではありますが、感銘と共感を強く覚えました。
今回はこの本のご紹介と、むらじ自信が考えたことを中心に書いてみます。いつもより真面目ですよ。たぶん。
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羽根木プレーパーク は、言わずと知れた日本で初めての常設プレーパーク。この『常設』ってのがポイントで、実は羽根木の前に、半常設とでも言うべき2か所のプレーパークがあったんですね。
・経堂冒険遊び場『こども天国』
1975年・1976年(共に夏期のみ)
東京都世田谷区経堂
・桜丘冒険遊び場
1977年7月~1978年9月
東京都世田谷区桜丘
この2つが試験的に開催され、結果として1979年7月21日、現在まで続く羽根木プレーパークが生まれたようです。
経堂は夏期限定、桜丘は15ヵ月間の期間限定の開催。これらのドラマが綴られていて、当時の運営者の考え方や苦悩が記されています。歴史をたどる上では外せない内容でした。何より、この事実を知ったことが大きな収穫でした。
そして、最も注意して読んでいたのが、『プレーリーダー』に関する記述。
当時のリーダーはどうだったのか、リーダーってそもそも何なのか、少しだけ謎が解けてきたような気がします。もちろん、私の活動しているものと時代も環境も場所も違いますが、当時の意志というのは脈々と受け継がれてきているんですね。
この本にも、プレーリーダーの重要性が各所で述べられています。でも、不思議と、『プレーリーダーとは○○だ』という断定するような表記はありませんでした。これが興味深い。
【ヨーロッパでは四十年の歴史を持つ冒険遊び場(アドベンチャー・プレー・グラウンド)に常駐するプレーリーダー制は、すでに多くの国で、制度として位置づけられている。しかし、日本でははっきりとした制度が何もない。その役割もはっきりしない。】(『冒険遊び場がやってきた!』P122参照)
とあるように、当時としても明確な定義付けがなされていなかったようです。
20年経った、現在ではどうか。
私の所属する杉並冒険遊び場のびっぱひろっぱのHP では、以下のように紹介されています。
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私たちは、プレーリーダーは、「遊び場」の目的を達成するために、多面的な役割を果たして行くことが求められていると考えます。
2002年に行われた第1回全国プレーリーダー遊学祭においても次のように考えられています。
一、子どもが主役の遊び場をつくる
一、子どものありのままを受けとめる
一、子どもと人として対等な関係を築く
一、遊びから見える子どもの姿を発信し続ける
一、子どもの遊びを重視できる社会へと意識の転換を図る
(出典:2002年2月11日第一回全国プレーリーダー遊学祭『プレーリーダー宣言』 より)
(以上、『杉並冒険遊び場のびっぱひろっぱ』ホームページより引用)
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この原文は、2002年2月、第1回プレーリーダー全国集会「遊学祭(あそまなまつり)」の中で発表されたものです。
原文表示はコチラ 。
おそらく、この『プレーリーダー宣言』が、現在日本におけるプレーリーダーの基準値になるのではないかと考えられます。この宣言は2002年のこと。とすれば、羽根木が始まった1979年からの23年間、明確にされていない存在であったとも考えられます。細かく研究したワケではないので、あくまで推測の域は出ませんがね。
この集会に出たかったー!でも、当時むらじは高校2年生。栃木のド田舎で暴れていた私には知る由もありませんでした。
この宣言はとても大きな意味を持つものだと思いますが、どうやって現場に還元していくかが、私に課せられた使命なのかな、と思ったりします。
私の出来る範囲で、現場の実情を踏まえた上で、実践していければと改めて感じました。
ところで、子ども達から考えるプレーリーダーの姿について、興味深い記載を見付けましたのでご紹介します。『子どもの遊びから見えてきたもの』という項の一部です。
【リーダーの肩を叩いてみたり、身体に触れて何となくおしゃべりしたり、まとわりついている感じの子どもの姿をよく見かけた。リーダーがこんなにも人気があるのは、どの家でも兄弟の数が減っていること、親や教師以外の大人と接触する機会がほとんどないことと関係があるのかもしれない。】(『冒険遊び場がやってきた!』P44参照)
この本が出版された当時、私はまだ1歳。当時の社会情勢なんて全く分かりませんが、現在と同じような状況だったんですね。現在はこの問題がさらに深刻化しているのは言うまでも無く。特に都心部ではね。
私自身、引用した部分のように子ども達と接していることが多いのです。座ってボケーっとしてても膝の上に乗ってきたり、肩車をせがまれたり。子ども達の心のどこかで無意識に、誰かと接するというのを求めてきているんだと思います。
よく『お父さんとこんな風に遊ぶの?』と尋ねてみますが、別段父親とのコミュニケーション不足ではないようです。『いつも遊んでるよ!』という子と『あんまりやらない』という子、不思議なことに半々ぐらいなんですよね。私の想像では、お父さんと遊び足りないから冒険遊び場のお兄さんたちで昇華しているものだと思っていたのでビックリ。
まさしく引用部分のように、『親や教師以外の大人』ってのがポイントなのかも知れませんね。親は日常生活の範疇、教師はそういう対象ではない。プレーリーダーはその両者と違う、欲求を満たしてくれる存在として認識されているのかも。年齢的に、親や教師よりも身近であることも、少しは影響しているのかも。
プレーリーダーの役割について、この本では4つにまとめている部分があります。
【大人の価値観から子どもの遊びをまもる「防波堤」としての役割、子どもの「代弁者」として大人社会に発言していくという役割、不測の事態がおきたときの「相談相手」、そして、子どもたちにタイミングよくアドバイスのできる「しゃべる立看板」、以上の四つだ。】(『冒険遊び場がやってきた!』P133参照)
「この四つに限られるわけではない」との補足もありますが、なるほどなるほど。確かにそうかもしれない。
「防波堤」「代弁者」の二つの意を併せれば、これらはプレーリーダーが『大人と子どもの中間』ということになるのでしょうね。意識したことはありませんでしたが、実際そんな感じなのかも知れません。
親御さんから『この遊びは大丈夫なんですか?』と聞かれたら『大丈夫だと思いますよ。本人がやりたいと言ってますので、やらせてみてください』と答えています。自然と、そんな役割を全うしているのかも。
私は現場にいる中で、子ども達に『安心感』を与えたいと常々考えているのです。峠道のガードレールみたいな。道の上にいさえすれば、どんなスピードだろうが急ハンドルだろうが、崖下には落ちません。スピードの出し過ぎやハンドルが間に合わなかった時の、最後の砦みたいなもんですね。
また、対向車とぶつかることだってありますが(=ケンカなど)、凹んだ車は直ります(=仲直り)。でも、ぶつかった衝撃で崖下に落ちればどうしようも無い(=絶交?)。落ちる前に止められるように(=仲裁)。
車に乗っていて、普段ガードレールを意識することは無いでしょう。でも、いざという気には必ず守ってくれるんです。
車が好きなもんで変な例えになっちゃいましたが、そんな存在になれたら良いな、って思います。
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う~ん。ここまで書いても書き足りない。こりゃ自費出版ですかね?
部分的ですが、今日読んだ本を参考にしながら何となく書いてみました。
まだ目を通しただけに過ぎないので、深く読み進めていきます。
多分ご近所の図書館などにも置いてあるかと思いますので、ご興味ある方は是非ともよんでみて下さいね。
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追記。
本日夕刻、ベーゴマが届きました!
開けて、念願のご対面です。
並べてみました。27個と25本。結構迫力ありました。
美しい…。
早速回してみるか!
…というところで、重大なミスに気付きます。
回す場所が無い。
アレが必要でした。
ベーゴマの、台。
ダメじゃん!なんと初歩的なミス!
今度の休みにでも、作ります。それまでは眺めるだけ。