武蔵野の蒼空の下で…season2 -5ページ目

街のシルエット  あれから………












































✻  ✻  ✻ street ✻  ✻  ✻
より
『 街のシルエット 』
6枚組









京王線仙川駅を歩いた正月三日
切り通しになっている駅の地上部にある商店街
その石畳を行き交う人のシルエットを撮る



影のように佇み
黒子になり切る



同じ構図
同じ露出



ある日の
定点観測








jpeg撮出
無加工
f5.6固定
Aオート







早朝のオジイの独り言

現時刻午前5時18分
起きたのは4時半頃
今朝はそれほど寒くないのでエアコンなし


今日は俺が写真に求めるものについて書き残そう

写真とはそもそも記録する為に画家が作ったとされている
旅先で記録しアトリエで画にする為にだ
しかし時が経ち写真表現という考え方ができ、それまでは記録の為の物だった写真が、撮影者の表現方法の一手段となった訳だ

そしてアートの一分野として認められる存在になっていった

だが今も報道やドキュメントとして、写真の記録性は確立されているし、それがなくなる事などないだろう
だけど合わせて表現として、クリエイティブな創造物としての写真も、同時になくなりはしないと考えられるのです

俺は小学2年の写真を始めた当初は、SLの鉄道写真を撮るという言わば記録を残す為の撮影行為だった
小5からの夏のひとり旅でも同じ記録目的でした
しかし中学に入りOLYMPUSのOM-2を買ってからは違った
それは暗室作業を知り、その創造性の高さと自由さに、驚きと感動を覚えたからなのです

それからは表現という想像し創造する行為にハマった

将来は、コマーシャルフォトというクリエイティブな写真分野に進むと決めたのも、それ故の事なのです
そうです
中学時代は陸上部で全中目指して走り回っていたが、その頃には既に将来の目標と、就職は広告代理店と決めていたのだ

それを実現し、更に後には個人の写真事務所を持ち、仕事だけでなく自己表現としての創作活動、つまり写真家として個展などの為の作品制作も、合わせて行ってきたのです

だから俺は今も写真に「創造性」を求める

普段なら見過ごすような何気ない光景でも、自分ならこれはこう撮るという想いが見て取れる写真とでも言えばいいのか、自己表現としての創造性を大切にしている

しかしこれはあくまで俺が写真に求めている事で、それぞれ自分の想いで撮影行為を楽しめば良いと考えている




自由に自分をさらけ出せば良い

アートにおける自己表現とはそういうモノ



俺はそう考えています





そして今日 
1月17日は阪神・淡路大震災が起こった日です

それについては過去に何度も書いています



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まもなく午前5時46分





黙祷