※ 8月31日に更新したものを、
9月6日、一部書き直しました。
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こんにちはにゅ。
昨夜、
前記事を更新したあと、
ほかの方のブログを、読みました。
みなさん、
それぞれの思いが溢れていて、
切なくなってしまいました。
毎度のことだけど、
自分の筆力のなさも、痛感。
演目が、旧ロミジュリだっただけに、
そのシーズンを綴られている方々、
ニース以来の思いを重ね合わせる方々、
たくさん、いらっしゃいました。
悔しい。
あたしには、その記憶がないから。
みなさんが持っている思いが、
まぶしすぎて、圧倒的すぎる。
あたしのこの思いなんて、
浅いものなんだと、
ちっぽけなものなんだと、
劣等感を、感じるほど。
そんな、
どす黒い思いを抱えて、
昨夜は、寝ました。
雨の音で、朝五時半に、
目が覚めてしまい。
まだ、
旦那も子どもも、起きていないので、
昨日の録画を、リピート。
起き抜けの素(す)の状態、
好きです。
まだ頭はまわってないけど、
だからこそ、
自分の本能で、
感じ取れる気がします。
今朝、
感じ取ったのは、
背中。
被災地訪問の場面。
公園で、声をかけられた後の、背中。
公園で、声をかけられた後の、背中。
違う背中。
表情は見えないけれど、
見えなくたって、伝わって来たよ。
そして、
胸の内に、
ふうわりと降りてきた思い。
この背中を、
追いかけていこう。
追いかけていこう。
追いかけていくんだ。
追いつくことは、到底できない。
時間を巻き戻すことも、できない。
でも、
ゆづさんを知る前に戻ることも、できない。
できないことを嘆いていては、
もっと、距離が離れてしまう。
だから、あたしも、
背筋を伸ばしていなくちゃね。
3Aを跳びなおしてからのゆづさんを見ていて、
こみ上げてきた涙が、
抱えてたどす黒いものを、
流し去ってくれました。
劣等感でいっぱいになっていた夜には、
まぶしいだけだったみなさんの思いに、
今は、
そうっと手を添えたい気持ちです。
ありがとう。
もしも、また、
自分の力のなさを感じたときには、
自分の力のなさを感じたときには、
そんなときは、
この背中を思い出すからね。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
この右ひじのアザ、
TOIのときにも、あったよね。
(ひょっとしたら、転倒するとき、
(ひょっとしたら、転倒するとき、
毎回打ち付ける部位かもしれない(T_T))
TOIで、
ゆづさんが、話してくれた、
放置されたままの洗濯機、
放置されたままの洗濯機、
基礎だけ残った家、
VTRの中に、写りこんでました。
この訪問は、TOIの前。
「花は咲く」の撮影も、TOIの前。
TOIでのゆづさんが、
ホントに、はち切れていたのは、
こうした経験を経たからでも、
あったんだね。
もう、吹っ切れてるんだね。
被災地代表であることを受け入れて、
象徴になることさえ厭わずに、
これから進んでいくんだと、
あなたが決めたことだから。
「ひとりで背負わないで」
「もう充分なんだから」
そう思ってしまうのは、
あたしの尺度の、勝手な押し付け。
あなたが背負っているもの丸ごとを、
精一杯、追いかけるからね。
では。