みなさん、お早うございます✋😆♪


我が家に『挙国一致内閣』が組閣され、娘を「バカの一本線の特進クラス」に合格させるための態勢がとられました。


これで私のすべきことが明確になったとも言えます。志望校さえ決まれば、『その学校に合格するための力』を養いさえすればよく、力不足の子どもを合格させるためには、欠くことの出来ない条件が揃ったわけですからね✌️😁♪



さて、少し歴史の話を致します。


都内の女子高というのは、総じて100年近い歴史を持っています。これは明治期の「女性の権利運動」と連動しているからです。


創立の背景はそれぞれ異なります。宣教師が作った英語学校、明治の資産家の妻や娘が開いた裁縫教室や語学教室などなどということです。


新札の顔になった津田梅子は、英語専門学校を創設し、現在の津田塾大学の基礎を築いた訳ですね😊



ですから、本来は『祖母・母・娘の3代が全て△○女子中学卒業』などという、強い支持層に支えられて成り立っていたのです。


これはどこも同じです。



その後、太平洋戦争の縮小期を経て、高度成長の時代を迎えます。新生児の数が急速に増え、各地に小学校や中学校が新設されていきます。



それでも間に合わないくらいのスピードで、子ども数が増えたことで、窮した国と東京都は、補助金を「人質」にして、各私立学校に「募集人数の増設」を求めます。



この時、校舎を増設して国や都の依頼に応えた私立学校は、昭和50年台に起きた「校内暴力の時代」に大変な思いをすることになるのですけれど、まさに心血を注いで学校を守った立派な教員諸氏の尽力によって、現在の私立学校は生き残ることが出来た訳です。その頃は、まだ多くの「聖職者」がおられたのですね。……奇特なことです。各校が、今の軽佻浮薄の輩どもに、煎じて飲ませる爪の垢を、なぜ保存しておいてくれなかったのか、悔やまれてなりません。



現在は、私立学校にとって2度目の試練のときを迎えています。既に幾つかの私立学校が閉鎖の憂き目をみていますし、中学部の閉鎖や共学化など、一部の縮小や拡大を梃子に、各私立学校は必死でその存続を図ろうとしているのです。


閉鎖された(廃校・身売りした)学校にも、『親子三代』の支援層が居たことを想えば、心の底からお気の毒でなりません。母校の喪失は、人のアイデンティティーにも関わる重大事ですからね。総じて母を失うことは、人にとってのインパクトが大きいのです。分かりますね😊💧


国と東京都は、この事態に対して大きな借りが有ることを忘れてはならないと思います。



我が国にまともな教育行政が存在したことは、特別な地域を除いて今だ嘗てありません。


松下村塾や会津十訓を持ち出すまでもなく、子弟の教育に情熱を注いだ先人達の遺した教訓を真に引き継ぐような、教育行政機構が構築されることを切望して止みません。


教育を金儲けの手段にしてはならないのです👊😑💢