「宿題やったの?」……「うん、やったよ💦」
この会話、不思議では有りませんか?
そもそも、「宿題をやった形跡が無い」から、やったの?と訊いたのですよね。
ところが、子どもは「やった」と答えたのです。
これは一言「見せてごらん」と言えば「詰む」のですね。将棋で言う「詰めろ」の状態です。
ところが、母親は「子どもを疑いたくない」という思いに凝り固まっているため、二の矢を放つどころか、質問を変えようともしません。
薄々感づいてはいるのですから、質問しなければイイのです。
嘘を覚えた子に質問なんかするから、「嘘を誘発する」ことになるのです。
大アインシュタインは看破しました。
「狂気の定義は、同じことを繰り返していながら、別の結果を期待することである」と。
同じことを繰り返しても、決して「いつかは伝わる」とか、「そのうち気付く」なんてことは起きないのです。
これは決して起きないのです。
そして、それは「気が狂っている類いの自棄糞の祈りに似た行為」ということですね。
決して陥ってはなりません。
さて、「このお母さん、どこかで聞いた話のような……」と、思われた方は、このブログの「質の良い読者諸賢」であります。
これは、我が家のお兄ちゃんとその母親の会話なのです。
……近くにいて呆れました💦
こんな会話をしていたのか?ということです。
私は、お兄ちゃんが自室に入っていくのを横目に見ながら、『アレやってないよ』と妻に言いました。
すると、「酷いこと言わないで💢」ですからね。……付ける薬が無いとは、このことです。
最も忌み嫌う「嘘つきな子」を育てて余念がない妻は、自分の落ち度に気付かないのです。
私は『子どもが嘘つきに育つ仕組み』を説明する必要がありました。
そして、次からただただ「宿題をやったノートを見せてごらん」と言いなさい。
そして、彼が「ココ」だと言うところに、日付とサインをしなさい。
それが嫌なら、せめて「質問するのをやめなさい」とも。
その「お母さん」は、どうしたと思いますか?
嫌々ながら、「質問するのを止めた」のです。
……恐ろしいことです😑💦
その後の顛末が、前述の「放校騒ぎ」になるのですけれど、多分彼女はその自覚は無いと思います。
私は、逆にただ恐れていました。
彼女が子ども達(!?)に傷つけられる近い未来をです。
そして、その結末を迎えかけた「中2の夏」、その母親は夫に言ったのです。
「もう、面談に行きたくない。代わりに行ってくれない?💧」
そして、伝家の宝刀を抜き払いました。
「なんとかしてぇ~」……う、……天才か😑💦