全く関係ないけれども,昨日,比叡山に行ってきた。父が眠るお寺は天台の寺。気仙沼の観音寺である。そういうご縁によって,自分は行って来たのだろうか。

  写真ほ京都タワー。今朝,京都の街を走って来た。いい町だと思う。でも,短歌を作る発想はない。

  今日の歌は,新年の歌である。そういえば,父は生前,年賀電報の時期は大変だと言っていた。今とは時代が違うと言ってはそれまでだが,年賀電報がとても嬉しい時代もあったのだと思う。

○歳旦

ペルー沖漁船の感度上がり来て賑わいにつつ年改まる

受信機を溢れてどっとなだれ来し七つの海ゆ年賀モールス

冬一月船の集まる北海に如何なる仕掛け創りたりしか

年賀電報を送信る手の甲熱りつつ伸びし髭にてあまねく掻けり

☆年賀電報。今はもうないのだろう。輸入に頼る水産業。なんか寂しい。