【進化を遂げるマンガ】 | 村の黒うさぎのブログ 

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大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

 

専門家が加わる現在のマンガ
マンガの始まりから今後を見通す
手塚治虫作品の立ち位置


Ⅰ, 専門家が加わる現在のマンガ

私が子供の頃、著者が連名のマンガ作品もあった。
原作者とマンガ家が並記されていて、例を挙げれば 牛次郎・ビッグ錠  梶原一騎・川崎のぼる あきづき笙・松尾美保子 水木杏子・いがらしゆみこ等のコンビがあった。
絵の上手いマンガ家と、ストーリーを専門にする原作者とが組み、内容が充実した、あるいは専門性がある作品を発表していた。

現在では、三人体制で著されたマンガ作品が現れている。
小学館の「正直不動産」は、原案・脚本・作画の三人体制で著作されている。原案:夏原武 脚本:水野光博 作画:大谷アキラ の三人が担っていらっしゃる。
増刷が繰り返され、何度もTVドラマ化されている、大変な人気を誇る正直不動産である。

また、「かわぐちかいじ」は、軍事評論家の協力のもと、明治維新の戊辰戦争を舞台にした作品や、近未来の自衛隊を想定した、戦争マンガを描いている。
「石ノ森章太郎」は、代表作「HOTEL」を描くにあたり、データ協力を専門家に仰いでいる。

斯様に、マンガも専門性が高くなり、それに応じて、マンガ以外の分野の専門家が加わって、制作される様になってきている。




Ⅱ マンガの始まりから今後を見通す

 


平安時代後期の「獣鳥戯画」は、社会科の教科書にも載っている。
動物や鳥が「擬人化」されている。笑っているなど、その顔には表情がある。ポーズも人間に似せられている。大昔にみるマンガ絵といえる。

江戸時代の浮世絵師に、葛飾北斎がいる。
北斎の「富岳三十六景」中では、「デフォルメ」(誇張)の技法が使われている。海と富士山が描かれている幾つかの作品で、両者の構図が、思い切りデフォルメされている。

獣鳥戯画の「擬人化」、富岳三十六景中の「デフォルメ」は、マンガが成り立つ上での、重要な技法である。

翻って、現在のマンガについて。更に新しい手法が生まれている。
セリフや効果音が一切使われない、無声マンガが試みられている。
小学館に於いて、近年「萩尾望都」・現在「石塚真一」が、実験的に描いている。

更に、石塚真一の「BLUE GIANT」(ブルージャイアント)は、主人公が単身海外へと渡り、サックスを手に、世界一のジャズプレイヤーを目指す物語だ。
「BLUE GIANT」では、一切音が出ないマンガの世界で、絵で音楽の凄さ、音楽の素晴らしさを表現している。

「BLUE GIANT」の映画版を観た。ジャズの音楽のバックに、映像-構図の組み合わせ・表情・ポーズ・視覚効果で、音楽の素晴らしさを何倍にも引き立てている。
私は、絵で音楽を表現する「BLUE GIANT」の世界に、マンガの新しい可能性を見て取れる。



Ⅲ 手塚治虫作品の立ち位置

マンガの神様と言われている、「手塚治虫」が亡くなって、36年になる。「手塚治虫マンガ全集」の内容を振り返ってみれば、絵柄は比較的単純で古い感じがある。

されど、本棚に現在ある、手塚作品を手に取ってみて。
手塚作品では、登場人物の心を、全身を使って表現している。人物の心の動きが、全身の表情として現れている。
これは、手塚治虫ならではの手法であり、個性だと思う。
現在のマンガでは見られない表現で、かつマンガの原点だった気がする。

更に言えば、氏の四十余年のマンガ家人生で、作品は絶え間ない進化を遂げてきた。
晩年に描かれた、成年対象の作品で、「ネオ・ファウスト」(未完絶筆)、「アドルフに告ぐ」がある。
「ネオ・ファウスト」は人から紹介を頂いていて、是非読んでみたいと思っている。

殊に、「アドルフに告ぐ」は、私が成人してから世に出た作品で、現在でも大変読み応えがある。
現在に通用する魅力ある画。
成人を惹き付けて止まないストーリー。
手塚治虫の持つ、天性のセンスが光っている。