【南極観測船「宗谷」】 | 村の黒うさぎのブログ 

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大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

主人の目的は、南極観測船「宗谷」だった。
ゴールデンウィークの中日、主人の意趣に沿って訪れた。
臨機応変に(行き当たりばったりに)行動する主人は、今回は珍しく昼間に遠出した。早朝のいつもとは違い、外側から眺めるだけでなく、施設の中へと入場できる。
お台場の波止場に展示されている、宗谷の全体像を見渡してみた。
その勇姿に、気分は嬉しくて高揚する。


先頃、TVアニメ「宇宙より遠い場所」を観た。そして南極に行く高校生の女子4人の友情とロマンの物語を、ブログにしたことがある。現在の南極観測船は、二代目「しらせ」が活躍していていて、アニメにも登場する。

今回見学する「宗谷」は、初代の南極観測船だった。
第二次大戦中、特務船として使われ、引き揚げ船などを経て、改造されて初の南極観測船として活躍した。
1978年に引退し、翌年から一般公開されて見学施設になっている。

調理室 士官食堂 便所(複数) 浴室(複数) 流し場 士官達の寝室 (二人部屋・四人部屋)  通信室 操舵室 治療室 船長室 などの設備がある。

コースを見学していて、あちこちに立つ蝋人形達の姿には、一瞬仰け反る。

調理室内には、文化財になっている実家のものと、よく似たデザインの食器が置いてある。

いずれの部屋も、テーブルやソファのカバーは、白色で統一されている。カバーは現在と違う、天然素材100%の様だ。風合い、シワの具合から、木綿製と思う。



寝室では、机と二段ベッド、整理棚が目にとまる。簡素で小ぶりな木造のつくりで、昨年観た雑司が谷の「宣教師館」の家具と、雰囲気が似ている。
船が造られたのは1930年代で、同じ頃に建造、設置されたのだろう。

便所は海水の水洗設備がある。浴室でも海水に入浴していた。

流し場は、お茶を淹れたり、デザートの用意をしたり、あるいは洗面の役割を担ったのであろう。

船長室はひときわ広く、応接室を兼用している。机も大きい。
室内のカーテンの柄が、実家にある70年前から使っている布地と、よく似ているのが印象的だ。



治療室には医師が勤めていた。昭和の時代の、個人医院の診察室を思わせる。



通信室・操舵室内には、精緻であり、かつ見るからにアナログな計器が、ズラリと並んでいる。



燃料に重油が使われるジーゼルエンジンである。機関部分は船内では重要で、かつ広さ・高さ共に大きなスペースを占める。



甲板には、ヘリコプターが二台発着出来るスペースが設けられている。
昔、ヘリコプターが草原に着陸していて、プロペラを回していた様子を回想する。
周囲の草木が凄い勢いでなびいていた。またエンジンの爆音は、半端なものではなかった。



「第一次南極越冬隊」といえば、カラフト犬のタロとジロをまずは思い浮かべる。
タロとジロのエピソードは、小学生の時先生からお話を聞いている。
写真や、展示のレプリカで見ると、とても大きく頑強そうな犬種である。
彼達は、南極で犬ゾリを引いて活躍してきたのだ。その眼差し、表情は、見るからに強そうだ。
隊員一同が引き揚げたあと、弱肉強食の一年間を生き抜いた二頭の
様子に、思いを馳せる。
剥製でよいので、彼らに対面したいと思う。
ブロガーさんの記事で読んだことがあるが、ジロの方は、「上野国立科学博物館」に剥製が展示されている。
次の機会に、ぜひ足を運んでみたい。

普段のウォーキングとは時間をずらして、人混みをかいくぐって行った穴場だった。「ゆりかもめ」に乗ると、人混みで窓の景色も遮られる様な車内だった。
「お台場」駅で、大勢が降車した。次の「東京国際クルーズターミナル」駅では、降りる人もまばらで、私達は悠々と「宗谷」ヘと向かったのだった。
見学では人もあまりいなかった。
主人が、興味と時期の絶妙なタイミングで、見つけた穴場での見学だった。

南極観測船「宗谷」の見学は興味深く、タロ・ジロのエピソードを、心の中で何度となく思い返した休日だった。