【身辺にみる「残念なこと」】 | 村の黒うさぎのブログ 

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大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

・青い瞳・黒い瞳
・花見の出来・不出来
・天体観測のタイミング


Ⅰ 青い瞳・黒い瞳

TVアニメにもなっている、大人向きコミック「ゴールデンカムイ」に於て。
ポーランド人と樺太アイヌのハーフ・ウィルクは、深い青い瞳をしている。ウィルクと北海道アイヌの母の間の娘、アシリパも、父ウィルクと同じ、深い青い瞳だ。
アシリパは瞳がとても魅力な少女。
でも、現実にはそれはあり得ない。この場合、青い瞳と黒い瞳の夫婦の子どもは、瞳の色は必ず黒く生まれる。
黒い瞳は青い瞳に対して、優性遺伝する。遺伝上の決まりである。

例 手塚治虫著「アドルフに告ぐ」に於て。
ドイツの外交官の父と、美しい日本人妻の間の息子、アドルフ・カウフマンは、父と同じ、青い瞳である。
ストーリーではそうだが、現実には黒い瞳のはずである。

例 北朝鮮拉致被害者の蘇我ひとみさんが、帰国した。娘さん二人と、続いてひとみさんの夫、ジェンキンスさんも来日した。ジェンキンスさんは白人であるに関わらず、娘さんは二人共に、瞳の色は黒い。

① 遺伝に関して、どうしてでたらめな話がまかり通っているのか、私の考えを述べる。
② 青い瞳と黒い瞳の遺伝のしくみを、お話しする。

⇒ 「メンデルの法則」という、遺伝する上での決まりがある。
教会の神父だったメンデルは、エンドウ豆を育てて、数多くの種子を採った。いろいろに条件を変えて、何代にもわたり、それぞれの形状の種子を採って数え、割合をしらべた。
そうして、一定の決まりがあることを発見した。これが「メンデルの法則」である。
7つある法則のうちの一つが、この、瞳の色の遺伝と関わっている。



⇒ 親の代で、青い瞳と黒い瞳の人同士が結婚すると、[混血第一世代]・その子供の代では、みんな黒い色の瞳に生まれる。
青い瞳と黒い瞳の両方の遺伝子を持っている、黒い瞳の人同士が結婚すると、[混血第二世代]・孫の代では四人に一人の割合で、青い瞳に生まれる。
黒い瞳が、青い瞳に対して優勢遺伝した結果である。

⇒ 「ゴールデンカムイ」作品中のアシリパ、「アドルフに告ぐ」作品中のアドルフ・カウフマンは、ストーリーが分かり易い様に、青い瞳ということにしたのだと思う。
白い紙に黒のインクで表すマンガの世界で、黒く塗られていない瞳に描けば、西洋人か、あるいはハーフであることを、一目で表せる。



⇒ 私たち日本民族は、皆黒い瞳黒い髪で、多くの人は金髪や青い瞳に憧れている。
西洋人とのハーフならば、青い瞳に生まれることに、潜在的な憧れの気持ちがあるのだと思う。



Ⅱ 花見の出来・不出来

紅葉が綺麗な年・それ程綺麗でない年があることは、実家での経験で知っていた。
一日の気温差が大きく朝が冷える秋には、もみじの赤色が深まる。それに対して、朝の気温があまり下がらない秋の年は、紅葉も美しい赤色にはならないものだ。

同様に、今年、お花見のソメイヨシノにも、出来・不出来があることを知った。不覚にも、これまで気づかなかった。
今年の目黒川沿いのお花見には、すかしを食らった。
ここ数年通りの目も眩む様な、ぱあっっと美しい桜並木を予想していた。しかし、「花散らしの雨」にさらされた。

雨の他にも、低温、晴れ間の日数が生育に関わったのだろうか。
花はたわわには付かず、しょうびんに細っているイメージだった。
開花と同時にすでに葉が出ている。薄紅色と緑色が混ざってしまい、濁った色に見えてしまっている。

物事は、前向きに考えよう。
商店街が桜並木沿いに巡らした提灯は、可愛くて文字も大変ユニークだ。お店の個性、家族の構成やネーミング、今時のきらきらネームと、提灯の一つひとつを見ていると飽きない。
今年からの新しい試みである提灯は新品で、キズ・色あせも無くて、明るく愛らしかった。

⇒ 目黒川沿いのソメイヨシノが「一分咲き」の時・「散りかけ」の様の感動を、数週間前に、記事にしております。
  【咲き初めの目黒川】
  https://ameblo.jp/mura-no-kuro-usagi/entry-12847244178.html
  【目黒川はたゆたう】
  https://ameblo.jp/mura-no-kuro-usagi/entry-12849047544.html


Ⅲ 天体観測のタイミング

しばしば、ニュースなどで、天体観測が取り上げられる。
皆既日食は、世界的規模でみれば、よく世界のあちこちで起こっている。殊に、南の島が日食スポットとなると、それは話題になる。

天体観測の良し悪しは、条件に大きく左右される。よく言われるのが天候だ。日食は、雲に遮られれば、お話にならない。
あと残念なことに、地球に対し天体の軌道がちょっとずれると、スケールがまるで違って見えてしまう。

私は子供の時、「ジャコビニ流星雨」の前評判にわくわくしていた。しかし長野県南部では、不発に終わった。天候不順だったのか、位置的に運が無かったのかはもう記憶にない。

一世一代の不発は、1987年の「ハレー彗星」だった。前回の観測では世界中で、彗星の尾が地球にぶつかる程大きく、空の端から端にまで架かって見えて、再び見られる日を、世界中の人びとが期待した。
しかし前回の軌道とは少しずれたことから、"一等星"程度にしか見えなかった。

天文学界やマスコミは、今さら世間の期待も裏切れずに、様々に企画をして、盛り上げて、涙ぐましい努力をしていた。

⇒ 追記
現在、大陽表面の活動が観測史上最も活発で、日本でもオーロラ観測は可能とのこと。
デメリットもありますが、オーロラを観られる可能性は、誠にけっこうなことです。