【人生の賢者-峠の芙美子おばさん】 | 村の黒うさぎのブログ 

村の黒うさぎのブログ 

大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

恵那山を望める峠の、芙美子おばさんは満97歳を迎えた。
芙美子おばさんは、私の実父の姉である。少し前迄は、数え歳で98歳、更におばさんは早生まれなので、99歳といわれた歳だ。おめでたいことなので、ちょっと盛って、100歳でも通用するだろう。
おばさんは、私の家系で一番の長寿となった。

私の父が、生前に話していたことがある。
人生では、学歴とか職業とかに、若い時にはこだわってしまうものだ。しかし自分の歳まで生きてみると、最終的には、健康に長生きした者が人生の賢者と言える。
そういう趣旨のことだった。

主人に話してみると、主人の考え方は、また違っていた。
良い価値観を持てて、それに沿って生きられた人が、人生の賢者だと言う。
主人は読書を重ねている。時に主人は、人生の指針となる本に出逢えて、その考え方を実践していた頃だった。

「人生の賢者」に対して、私自身はどう思うか。
私は、30年間主人と暮らして来て、主人の考え方から様々に影響を受けている。現在、人生の賢者についても、主人の言う通りと思う。
その上で、今後は、健康に長生き出来れば、尚言うことは無い。

芙美子おばさんは、白内障の手術で一週間入院した位で、他には大病もせず、生活習慣病もせずに、ここまで長生き出来た。
「おふくろは、おれより頭が冴えているよ」
おばさんが90歳の年に、おばさんの長男はそう言っていた。認知症とも、なおも無縁な芙美子おばさんだ。
そして健康に97歳まで長生きして、父の言う「人生の賢者」といえる資格は充分にあると思う。


もう一つの、主人の言う、人生の賢者の定義である「良い価値観を抱いて生きること」。芙美子おばさんは、そういう観点では、どうかと言えば-

二人の息子がお嫁さんをもらう年齢だった。はじめは、相手の家柄や学歴にこだわっていた。
おばさんの嫁いだ家は立派な家柄だったが、時代が下ると、山村の名家とは難しい条件だった。縁談の相手に条件を付けている間には、息子自身も年齢を重ねてしまうのだ。
おばさんは、夫を先に亡くし、長男、次男の結婚という課題には、片親の立場で取り組んでいた。
「息子の嫁のことお願いします」
芙美子おばさんから私の実家に届く年賀状に、そう添えられることが、何年にも渡った。おばさんが、息子達の結婚に真摯な様子が伝わって来た。

自分側が難しい条件を出していると気づくと、おばさんは柔軟に考え直した。女性の家柄とか学歴は外して、人柄や息子との相性という、外せないことを大事に考えた。

やがて次男に縁あって、晴れて結婚した。次男34歳、お嫁さん28歳。当時で言う晩婚なカップルだったが、現在も幸せな家庭生活を送っている。
「ありがとう!この日を待ちに待ちました」おばさんは、結婚式に当たってお嫁さんへ嬉しそうに言葉を寄せた。

長男の身長は153センチで、背丈の低さがネックだった。
男女の間のことはデリケートなものだし、当人同士の気持ちに迄、親は立ち入ることは出来まい。
あくまでも”縁”あってのものなのだろう。
長男は今も独身だが、定年退職してから、芙美子おばさんに親孝行している。

芙美子おばさんは、息子の条件が不利になっていると気づいたら、価値観を転換した。女性の家柄にこだわらず、人柄に重きを置いた。立派な家柄に関わらず、お嫁さん側にそれを求めなかった。そうして、家の跡継ぎの次男に、お嫁さんをもらうことが叶った。
おばさんが価値観の転換を図り、新しい価値観を抱ける様になった結果だった。


健康に長生きしてきた芙美子おばさん。
価値観に対して、賢く頭を切り替えた芙美子おばさん。
私は若い時から、他にも色々な意味でおばさんを尊敬して来た。

芙美子おばさんは、私の父の言う人生の賢者であり、また私の主人の考える、人生の賢者でもあった。



追記:コメント、メッセージは受け付けておりますが、返答は差し控えさせていただいております。