先日、劇団ショウダウン「レインメーカー」が無事に幕を閉じました。
人気のある劇団さんのパワーは物凄く、お客さんからのエネルギーもそれに伴って凄まじく。
僕は準主役の「ヘルマンニ」くんとして、無事に役割を果たすことが出来るのかどうか、その想いで満ち溢れていました。
今回は、振り返りのblogです。
眼鏡と常に抱えている本が本体の「ヘルマンニ」くん(10)です。
初めての東京大阪間往復
初めての準主役
初めての1日3ステージ
初めての11時開演
その他沢山の初めてが多く、そんな僕はヘルマンニに近い部分が沢山あるなぁと、台本を読みながら、稽古をしながら感じてました。
ナツメさんの脚本は、当て書きなんじゃないかと思わんばかりに、各役者が驚きながら役を作っていました。
今日はヘルマンニの話を。
ヘルマンニは、門を潜りません。
知的好奇心旺盛なエリアスと知的好奇心旺盛なヘルマンニ、同じ10才でありながら選ぶ選択肢が違う。
10才の割には大人なヘルマンニと10才の割にはガキなエリアス、でも選ぶ選択肢はその逆で。
子供でいたいヘルマンニと大人になりたいエリアス、でも、そのどちらも確実に成長していて。それぞれのペースで確実に前に進んでいて。
そんなことを考えたり考えなかったりするのです。
エピローグのヘルマンニくんは15歳。
実は何をどこまで覚えていて、忘れ去られているのかは僕自身も分かりません。
それは10才の時から変わらない。
どことなく懐かしい面影をミラから感じてみたり、リュリュやヤーナだけ彼女のことを覚えていたのは、きっとそれだけ記憶に焼き付いていたからぐらいな意味なんだと思う。
ヘルマンニは門を潜らない。
結果、記憶はなくなって、エリアスたちの記憶は消されてしまう。
けど、細胞レベルに記憶してる何か「想い出」までは消すことができないのだと、僕は信じてます。
ヘルマンニはどこまで皆のことを覚えていて、忘れてしまっているのか、気になりますね。
「だから僕たちは、この宝石のような時間をその幼い身体に焼き付けようとしていたんだ。」
この台詞に全てがあるような気がします。
はましょーにとっては、それはショウダウンさんとの1か月であり、お客さんとの5ステージだったり。
そう長くはないレインメーカー生活でしたが、とても濃密な時間と価値でした。
宝石のような時間は、きっと大人になっても沢山ある。
宝石のような時間になるかどうかは、きっと自分自身の心が決める。
そんな時間を沢山想い出として記憶に残していけるかどうかは、その時々を精一杯楽しめているかどうか。
ヘルマンニではなく、はましょーはこんな言葉を思い浮かべています。
セルカはきっと過去の遺産ではなく、きっと目の前の現実にもあるんじゃないかな??
大人になると見えにくくなっているだけで。
レインメーカーが終演し、僕のセルカ、座組の仲間がいる環境は消滅しました。まごうことなく。
でも、未だに終わった気がしないんです。
いつかまた、どこかで
きっとご縁が僕たちを引き合わせる、そんな気がしてます。
そんなとき、そこにセルカは復活するんじゃないかなと、僕は考えながらここ数日を過ごしています。