ビルのベランダに出て遠くに広がる雲の晴れ間, 監督はね、東京は大手町1-6-1に向かって手を合わせた。務めていた会社の会長の事を思い出したから。
43歳の時、母親の介護で1年間介護休職を取りその期間終了後何のためらいもなく会社を辞めた。大学院留学や、ここ浦佐から東京までの1500万を超える新幹線定期券代迄、ありとあらゆる厚遇を受けた感謝感謝!のサラリーマン人生だった。
辞めてからちょうど1か月後、会長秘書から「会長がお会いしたいといわれている。」と電話があった。「もう母親の介護で昨晩も5回もトイレに連れて行くような状態ですから無理です。」とあっさり断りを入れたら、先輩でもある室長に「いいかい! 政府の財政諮問委員もされていて大臣が来ても会う時間がないと言っているのに君の事を心配されてわざわざ会うと言っておられるんだよ。俺は会っといた方がいいと思うよ」
そこでデイサービスにいく木曜日に時間を合わせていただいて東京に会いに行った。
予定を大幅オーバーで1時間半も会長と話し込んで会長室を出たら社長や役員が心配して待っていたくらいだった。
その日から15年、起業をしたレインボーランゲージハウス15周年の日に会長に手紙を送った。経済3団体のTOPを務めるような上場企業の会長に、やめた一介の社員が突然手紙を送るのもまことにunusualだけれど、なんか無性に「いろいろご心配していただきましたが、会長!なんとかやれています。」とお伝えしたかっった。もちろん返事は来ないとおもっていた。すると和紙の高そうな封筒で手紙が届いた。秘書にタイプをさせて便せん2枚ほど書いてあった。
ここからなのだけれど!!実は封筒の中に便箋が1枚別に入っていて、それは会長の手書きの手紙だった。そこにはこれからの人生のアドバイスが書いてあった。
作り話のようだが100%事実。この手紙はまさに監督の宝物!!。
折につけ感謝を繰り返しているが、お盆に改めて空の晴れ間に深々とそしてしんみり会長を思いだして手を合わせた。あの会社に勤務でき会長との縁を頂戴したことに深い感動を覚える。もちろん辞めたことに何の後悔があるわけでなくただただ感謝である。
合掌
この19階で会長とあった。

