このところうちの卒業生の就職活動の相談にのっている。インターンシップや企業の選定について質問に答えている。そんな矢先、監督の勤めていた会社の会長が亡くなられた。長く経済同友会代表幹事や財政諮問委員など経済界の要職を務められた牛尾治朗氏だ。NHKの臨時ニュースで知った。ご高齢で引退されたことは知っていたがお元気だと思っていた。友達や生徒の親からも「ニュースを見ました。」と連絡をいただいた。

 

 普通、大企業と言えば会社のTOPとは口を利く機会もなく入社式で見るくらいだろう。監督も、23歳の6月、東京駅に最も近い高層ビルの19階で幹部200人を前に新入社員の配属発表の場で初めて牛尾会長を見た。長々と「会社は営業が根幹だ」と厳しい話をされた社長とは対照的に会長はほんの1.2分だけ

「君たちがわが社を選んでくれたのは縁があったんだ。その縁が将来よかったなあとお互い思えるように我々も頑張るから君たちも努力してください。」とだけ話された。監督は「どうせ毎年同じようなことを言っているんだろう。」程度にしか思わなかったのだが,あの言葉が真なりと何十年の時が明らかに知らしめてくれた。それがうちの生徒の就活相談の時、確信に近いアドバイスになっている。

 

 監督は入社試験の社長面接の日から「営業だ!」と言われ続けていたが、なんと経理部財務課に配属されびっくりした。簿記の講習やいくつものセミナーも受け毎日銀行や証券会社の本店営業部の担当者とあって銀行周りをする日々が続いた。それから営業、新規プロジェクト、そして会長がここ浦佐にある国際大学の理事長をされていたこともあって大学院留学までさせてもらった。卒業後海外営業部、国内営業、それから小松製作所と合弁で作った半導体関連の新会社に出向した。その間会長からヨーロッパ、社長からはアメリカ出向の話ももらっていた。

 

 実は会長とは毎年密かにほんの数分間話す機会があった。それは春の業績表彰の時だった。社長から表彰と賞金を受け取るものは総合朝礼で前に立つ。監督は営業時代15回業績表彰を取った。前に出るとなぜかいつも会長が隣にいた。社長が険しい顔で表彰者を褒めている間,会長はポケットに手を突っ込んだままそばに来て小声で話しかけてこられた。

「また今年も君か。毎年凄いな。」

「今年のユーザーはどこかな?」  

「業界の調子はどうなの?」

この5分足らずの小声での会話こそが表彰や賞金にまさる何よりの誉れだった。そして会長はいつも微笑んでくれていた。

 

 大学院に留学できたのも会長のおかげだ。最初MBAを滑ったが、社長が報告に行かれた時「あぁそう」と笑われていたそうだ。国際大学で修士論文のテーマに「一般廃棄物のリサイクル」を選んだ。社長に「全然会社の業務と関係ねえじゃないか!お前一体何を考えてんだ。」と叱られたが、会長がまた笑って許してくださったと社長に聞いた。だから700冊を超える本やアメリカ、ヨーロッパへの視察も全額会社が払ってくれた。

 

 最大級の出来事は浦佐に引っ越すと申告した時の事だ。会社は「お前何考えてんだ。新幹線通勤を認めない。よって自腹で通勤しろ。」と言う事になった。「それなら1年自腹で通います。それで辞めますから後任決めておいて下さい。」と強引に新潟へ引っ越した。結局年間220万(当時)を超える交通費を会社が払ってくれた。社長と人事担当専務に大変なご配慮をいただいた訳だ。会長秘書に聞いた話だが、会長は「浦佐から毎日通えるのかい?」と驚いておられたそうだ。

 

 42歳で営業部長だったころ大きな決断をした。

介護休職を取り1年休職しそのまま母の介護をするため会社を辞めた。事情が事情だけにだれも何も言わなかった。

さて辞めて1か月半後、秘書室長から電話があった。

「実は会長が君に会いたいとおっしゃってる。東京に出てきてくれないか?」

「えーっ!会長がですか。いや・・困りましたねえ。昨日の晩も5回も母親をトイレに連れてったような状況ですから、もう東京に行けるような状況にありません。せっかくですが・・」と断った。

2日後、秘書室長から再び電話があって

「会長は大臣が会いたいって来られてもスケジュールの都合がつかないような毎日なんだよ。そんな中で君のことを心配されて会いたいとおっしゃってる。俺はさあ、会っといた方がいいと思うよ。きっといいアドバイスをしていただけると思うけどなあ・・」

監督はとにかく唯我独尊だからこう答えた。

「わー!ありがたいですね。わかりました。私がそっちに行けるのは母がデイサービスに行く木曜日の午後数時間だけです。それでも良ければ行きます!」

大変お世話になった先輩でもある秘書室長は受話器の向こうで笑いながら「わかったよ。会長に聞いてみるよ。」

監督はね、もう本件終了、これで完全に会社との縁が切れたとも思った。

ところが!!翌日電話があって

「会長が君に合わせるとおっしゃってる。」

 

びっくりした。こりゃ何が何でも行かないといけないと思った。そこで母に説明して少々辛抱してもらって久しぶりにスーツをきて東京に向かった。季節は秋、庭の柿の木に実が付き始めていた。

 

To be continued

監督の通勤してたビルだよ