受かったところに行くしか選択肢がないレベルの生徒には想像もできないだろうけれど、大学は高等教育を受けに自分で選んで学ぶところだ。


何を何処で誰から学びたいかをおぼろげでも持っている生徒の進学は真なり、それ以外は的が外れている。行けるところに行くだけのことだ。的外れの大学進学のために親は数百万のお金を用意する。そういう親子のおかげで生き残っている大学が依然としてうようよしている。偏差値40台とはそういう意味だ。BFなどもってのほかだ。生徒も大学も先が見えてしまっている。例えばそこそこ就職がよくても、企業はそんなレベルの大卒に生涯給与2億も絶対払わない。ボランティア斡旋とかビジネスマナー教育、挙句は高校履修内容の補習が行われている大学は高等教育機関ではない。学校も悪いがそれを受け入れてしまう生徒もダメ、お金を払って行かせる親も気の毒。何をどこで学びたいかハッキリせず、高校時代にお勉強をおろそかにしてきた非は 取り返せないくらい大きく惜しい。逆にレベルの低い高校から大学受験を目指すのであればそれなりに人の何倍もやらねばならないということだ。ただ大半はそれはできない。基礎も学習習慣も整備されていないからだ。だから高校入学時点で決まっているということになってしまう。

「合格の意味」それは、君の学力と学びの強い意志に適合した資格のことを言う。

その意味は君が決めるのだ。


大学受験を目指す高校生よ!

何を学びたいか、何処まで深く極めていきたいか、ここが今ためされている。


監督の生徒の中に、合格の報告で「これからが勝負です。頑張ります。」とよこしたものがいた。大学進学の本筋を捉えている。しっかり学ぼう、頑張ろうと思える環境を勝ち取りなさい。
監督