息子はかれこれ13年アメリカ暮らしだ。

帰国したときはいつもマッサージをしてくれる。右手、左手、そして肩から腰と。「膝が痛いとか」、「どこか調子が悪い」と言うと成田空港で別れるとき「必ず医者に行ってください。」と敬語でそう言う。ゲゲゲの鬼太郎のように。

 

 そういえば監督も東京暮らしをしていた20代のころ、盆と正月は必ず兵庫県の実家に帰省した。母がたくさん料理を作ってくれて、父とはありとあらゆるお酒を飲んだ。いつも2泊しかいられなかったが、食べて飲んでそして話し込んだ。それから父と母の肩をもんだ。

 

 父の肩は凝り固まってカチコチだったが、「ありがとう。よう(良く)なった。効いたわ。」と言って5分とさせなかった。途中で息子(監督)の手を取って「もったいない。」とまで言ったことがあった。厳しく優しい父だった。

 

 健康な人だったが、無理がたたって最後は病に伏した。若い頃から絶対といっていいほど医者には行かない人だった。

「お父さん、診てもらったほうがいいから行ってよ。」

「万一のことがあったらどうすると思うと中々行けんのや。お前にお母さん、そしてうちの会社のこともあるしなあ・・ワシが頑張らなあかんのんや。ありがとうな。」 

父はそう言ってお酒を注いでくれた。息子(監督)はそういう強い父に支えられて、逆にたくさん元気をもらって東京へトンボかえりした。

 

 父と子、たとえ離れて暮らしていてもお互いを思い今日も共に生きる。監督がそうだったように異国で暮らす息子もそう思っているに違いない。    

                                                      監督