お勉強ができる子供の3つの条件
(1)地頭がある程度いい
(2)学習習慣が小学時代にできている
(3)お勉強に向かう姿勢をうまく誘導するいいお師匠さんに早い時期に出会う
師匠は小学校(遅くとも中2まで)の先生であるべきだ。子供の人生を決定づける位でないと「先生」とは呼べない。
さて「お師匠さん」と呼ぶにふさわしい先生とは、生徒から一生感謝をされあがめられる存在だ。そういう師匠から幼いながら子供は何を学ぶのだろうか?
(1)学び(お勉強)の真剣さ
(2)先生への尊敬からくる素直で従順で(ここ大切)そして強いお勉強への意欲
(3)お勉強が進む時の喜び
(4)最後にこれ!お勉強での成功体験
こういう体験は小学時代に積むべきものだろう。これができた子供はその先、大学受験まで主体的に踏ん張れる。社会に出ても一生頑張りが効く。他人との比較でなく偏差値で無く、幼い頃のお勉強面での成功体験から来るある種の自信のようなものが脈々と自分を支えてくれる。
監督自身の経験を話そう。地頭は別として小学4年生(10歳)の時、「師匠」に出会った。そしてすべてが激変した。必死で担任の先生についていった。一言も聞き漏らさず言われたことの倍も3倍もお勉強をし翌朝提出した。先生は毎朝積みあがる45名の生徒のノートを、まるで初めて見るようにまぶしく見つめ、きれいな赤い字でコメントをいっぱい書いて即日返却してくださった。そして毎日しっかり褒めてくださった。それを読むのがうれしくて、そして子供心に「誉(ほまれ)」と感じてお勉強に没頭した。3年まで体育と音楽以外オール3だった監督は3学期は委員長だった。
当時は体罰の時代だったから時々殴られた。ただえこひいきをしないし、善悪がはっきりしてすかっとほっぺたをはられた。ある意味緊張感をもってお勉強だけでなく、体育の時間も音楽の時間も全力でやった。給食だって・・・真剣に食べた。
褒められても叱られても心酔して「師匠」についていったということかな。
父兄参観の時、尊敬しているその先生が監督の母親に対してとても礼儀正しくある意味での緊張感を維持しながら言葉を選ぶように丁寧にお話をしてくださった。そばで背筋を伸ばして話を聞きながら先生の人となりを感じ、かえって威厳を覚えたたことを思い出す。大人のマナーを目の当たりにした10歳だった。
こんな1年を過ごせば子供は変わるに決まっているよ!一生ものの何かをしっかり植え付けていただいたんだ。だからこの先生こそ「師匠」と呼ぶにふさわしい存在なんだ。あの10才の一年間で「ああ・・自分にはエネルギーがあるんだ」と言う事を知り、「攻める」喜びも味わった。そして「お勉強」の大切さを学ばせていただいた。監督のお師匠さんは、紛れもなく小学4年生の時の担任の先生だ。あれから50年、今なお脈々と体の底に流れている。
小林 聡先生 ありがとうございました。
監督

