会社を辞めて早20年
昨日はウェブで3時間、会社時代の後輩達と飲んだ。今日は元部下からショートメ-ルで「本部長のところへ代理店の社長とGWに出かけます。」と連絡があった。
3月のある日、会社の独身寮時代の後輩から「退職して新しい選択をします。浦佐にご挨拶に伺いたいのですが・・・」と連絡が来た。20代の頃、監督は69人いた独身寮の寮長だった。彼は5年後輩で生活を共にしたのは数十年前の話だ。
「挨拶に来なくていいよ。その気持ちだけで十分だ。おめでとう。特許の専門家として次の会社の期待に応えてくれ!」と手紙を添えてお祝いを送った。
あれは入社まもない6月。大手町の本社での総合朝礼、TVでしか見たことのなかった会長が「君たちが我々の会社を選んでくれたことは何かの縁だと思います。この縁がああ・・良かったなあと双方が思えるよう我々も努力するから君たちもそのつもりで頑張ってください。」と笑顔でただそれだけ話された。
23歳の春、東京駅を見下ろすこのビルの19階で200人の幹部を前に管理本部配属を聞かされたなあ・・・
営業マンの下っ端だった頃、あらゆる局面で整然と且つ徹底的に指導を受けた部長からは、今でも時々「あんた、変わりないかい。JANさん(妻)はお元気か?」と連絡をいただく。20代の頃のように受話器を持ったまま思わず直立して話をしている自分がそこにいる。
監督は親の介護のため絶頂期に突然会社を辞めた。自分のキャリアにも会社人生にもなんの未練もなかった。退職してからちょうど1ヶ月半たった頃、会長に呼ばれて東京に向かった。同じビルの19階の大きな窓に囲まれた絶景の会長室のソファーに座っていた。「もうこれでビジネスマンとしてのキャリアも終わりました。これからどうなることやら」と申し上げたら180CMもある大きな体を乗り出して「いいかい!君はお母さんのためにいいことをしたんだ。だから君の人生はバラ色になる!」と気合いを入れられた。びっくりした。当時会長は財政諮問委員会のメンバーで総理大臣やトヨタ自動車の会長らと頻繁に国の会議に出向いておられた。だから辞めた社員のために1時間半も時間を割いてドアの外で秘書は慌てていたと思う。
話は尽きなかった。会長室を出るときドアに手を掛け立ち止まって「今回の退職に際し社長以下専務や常務からいろいろお言葉をいただいてつくづくいい人達に出会えて良かったなあと、辞めてなんですが・・・感謝しております。いろいろありがとうございました。」と会長をにらみつけるように申し上げた。そうしたら忘れもしない・・会長は「そうだよ!」とあっさり。「そういう人に(俺は)意識してこの会社に集まってもらったんだから。君の言うとおりだよ!」そう言って監督がお土産に持って行ったうちの庭の葉付きの大きな柿を机に飾られた。
ドアを出たら、秘書室長の他に社長と常務が立っていた。監督は親分のように慕っていた社長の顔を見て緊張が溶けたのを今でも覚えている。
あれから20年、変わらずこうして上司や部下、後輩達から連絡があるとつくづく総合朝礼で会長が話された「縁」を感じる。会社で「たまたま得た縁」が「一生の縁」に育っていった。「思いやり」のある「いい人」たちに出会えたということだ。
感謝以外の何ものでも無い。
監督

