「今日から頑張ろう!」と思っても、
「今度の模試でいい判定を取るぞッ!」と誓っても、
お勉強面で変わっていく事はむつかしい。
なぜなら、お勉強は時間をかけて身についた習慣みたいなものだから。
できる奴は点数が取れる習慣が出来ていて、出きない奴は何回やっても結果をだせない習慣に染まっている。うちの中高生を見ると。彼らの小学時代を垣間見ることがある。だから「レインボーに来て良かったなあ」と思う反面、その長年培われた「お勉強習慣」の壁は気の毒なくらい厚くて大きい。本人達にはそれが見えないし、それを放置してきた親だってわかっていない。
そもそも学習習慣は小学生のころに確立する。だから、花丸をつけて「頑張ってますよ。えらいね。」と褒め続けているカテゴリーの小学校教師とそれを真に受ける親の責任は大きい。むかし近隣の小学校の保護者会で校長が、冒頭突然「本日お集まりいただいた件とは直接関係がないのですが、私としてどうしても保護者の皆さまに申し上げたいことがございますので勝手ながらこうしてお時間をいただいてお話させていただきます。」と切り出した。
「勉強中心で行かないといけない。子供にとっては大切なことは何より日々の学習なんだ、その意識はどんどんうすれてきている。」と語った。彼女は危機感を感じていたのだろう。その指摘は非常に大切なことだと思ったが、ただせっかくいいことを言っても数ヶ月後定年でいなくなっちゃった。当然学校の学習に対する曖昧な姿勢は変わらなかった。無責任だとなあと思った。辞める時間を頭に入れて教育者ぶっただけだ。彼女なりの世渡りかもしれないが監督のいる世間から見ると、いや聞いていた親の1人としてはなんと無責任な校長かと思ったな。
学習習慣がいかに重要であるかを高校生の例で示そう。大学を目指し必死で頑張る。例えば英単語で混乱が起こる。無理もない。知らないことが多すぎて、しかし学ばなければならないことが山のようにある。一つの単語を別の単語と混乱し、それが長文読解のキーワードであればその英文の内容把握に大きく影響する。そこで説明を加え複数の同意語や反意語を並べたり、混乱した単語を辞書で引かせながら丁寧に説明する。本人は何回もうなずき前よりずっと理解が深まったように感じる。ここで学習習慣のない奴は、ぱたんと辞書を閉じる。何もなかったように訳を進めようとする。
「おい 書いとけよ。今度間違えないように。」
「はい」
ところがだ。間違った単語の意味だけ書いている。どうして付随して説明した情報を書き留めないのだろうか。いま混乱した単語と一緒に併記しないのだろうか。間違いに対する感度の鈍さ、次に備える記述の習慣、つまりお勉強を改善していく学習習慣が備わっていないのだ。愚かとしか言いようがない。大学に行く資格などないかもしれない。だって一体何を大学で学べるというのだろうか。さっき言ったように、お勉強は時間をかけて身についた習慣みたいなものなんだ。だからそれが備わっていないものが、ネットでいい授業を聞いても、売れている参考書を買っても点数は変わらない。お勉強に臨むものの根本的な問題だから。学びの前に学び方の指導をうけないと始まらない。
レインボーは生徒から授業料はもらうけれど、こういう指導料は請求していない。こっちのほうが大きなノウハウで価値があると思わないかい!だって学習習慣さえまともに構築されていないような中学生でも希望高に100%入れてきてるし、高校生だってセンター8割9割はうちの普通だったし、共通試験にかわっても同じことだ。
でも…監督はつかれるわー!

