かぶせる教師編
南魚沼のある高校で、けつの青い教師が、宿題をしていなかったかなんかの理由で、新入生の女子に向かってみんなの面前で「死ね」と言ったことがあった。うちの生徒が「ああ‥あの若い先生ですか、熱心さから、燃えちゃったというか気合が入りすぎて・・言葉を知らないのですよ」
生徒の方が大人で、教師の器を見越されていた。
愛情から叱るのか、管理を強いるために恫喝するのかは先行きが決定的に違ってくる。叱られた方が「自分のために先生が言った下さった」とは受け取れないからだ。だから効果はでない。仮にそういう指導の畳みかけで「かぶせる教育」がなされたとしても辛抱と洗脳された生徒がそこにいるだけで自らの意思が徐々に叩きのめされていく。 そういう生徒は仮に大学に入っても伸びない。最も大切な時期に自分でレールを敷いてこなかったから。
寄り添える教師編
別の南魚沼の高校で他県の進学校から転勤してきた国語の教師がいた。うちの生徒で難関私大狙いのものがいて英語も社会も偏差値は70近くまで届いたが、どうも国語が偏差55程度。そこを本人ともども課題に挙げていた矢先、その教師が3年国語の担当になった。受験指導は極めていい加減、教科書も終わらないような高校だが、この教師は違った。時間をとって最後まで「頑張ろう!」と受験指導をくり返した。
学校の特編など一切受けずに監督と2人で徹底して進んできていたこの男子は、この国語教師にはとても感謝し「素晴らしい先生です!」と何度も監督に言った。残念なことだがこういう話は例外中の例外だけれど・・・
さて「かぶせる教師」と「寄り添える教師」
教師諸君よ!生徒たちが君らのことを「先生!」と呼ぶときその声に微かな、しかし深い響きを感じ取れているだろうか・・・それが感じ取れないようでは教師は失格だ。うわっつらな関係でいくら指導しても叱ってもだめなんだ。生徒は「はい」と返事をしても実はついて行かないから何も変わらない。
一方、目を輝かせて「先生」についてくる生徒がいたら、教師としてノウハウと経験の全てをかけて指導をしてやってほしい!それを天職というのだよ!
監督

