色々なサイトが全米ランキングや世界ランキングを掲載している。音大はジャンルが広いから一概に順番などつけよいうがないのだろうがそれでも、あらゆる形で、例えば音大教授や関係者の投票や学校の規模、予算、実績や輩出している音楽家やダンサー、指導教授や特任・招へい教授の充実ぶりなどを計数化しランクをだす。たまたま世界トップ100の音大ランクのサイトを見た。日本人に有名なジュリアードやうちの息子の行っているジェイコブスなどアメリカの音大が軒並みTOP10にランキングされているが、日本の音大は100位ですら入っていない。

 息子がここ浦佐で産まれ浦佐で育ち、浦佐小学校で小6の時、通信簿で音楽にはまったく素人の担任から悪い成績を頂戴し、さらにコメント欄にわざわざ「いろいろな音楽に興味を示しましょう。」などと手厳しくかかれたことがあった。その時、当時大学教授でもあったアメリカ人の妻は「ありとあらゆる音楽を日常的に聞いているのに一体何をいいたいのか? ○○先生は音楽教師なのか 専門はなに?」と聞かれ、その担任がまさか音楽大学を出ているはずもなく、和音を弾くのがやっとのレベルで音楽を指導する日本の現実を当たり前に思っていた監督は,うまくそこを説明できず閉口したことをおもいだす。そんなこともあった息子がチェロで音大に進めたのは、ろくにピアノさえ弾けない小学校時代の音楽の授業のおかげではなく、まさしく監督の母系のベートヴェン大叔父様から受け継がれた音楽の血そのものであると思う。

 

 参考までに小さいころから監督が、息子の音楽の才能をみがくためにしてきた2つの方法をはなそう。ひとつは3歳くらいからヤマハ音楽教室にかよわせた。古い石油ファンヒーター一つしかないのに週1回のレッスンに関わらず暖房費を1500円かそれくらいもとるから電話を入れ「お金をとるのなら蛍光灯位新しいのにかえなさい」といったことがある。それにしても今でもぬけぬけと暖房費をとっているのかな。ただめぐり合った先生が卓越していた。7歳の最後のレッスンの日、「これで音感は大体整ってますから、今後何かと有利ですよ」と言っていただいた。その時は意味がよくわからなかったが後になって大きな果実となったことがわかった。

 もう一つ、これがその最大のメソッドだが大量の演歌を聞かせたことだ。それも鳥羽一郎だ。これがその後世界レベルで負けない礎を気づいたとおもう。息子は小学生のころよく車の中で「パパって演歌すきだね。なんで同じ曲ばかりそんなに何回も何回もきくの?あきないの?」と聞いたものだ。息子はやさしいから、同じ演歌を一緒にきいてくれた。だいたい好きな曲は毎日50-60回聞きその同じ曲が1か月以上続く。 息子のいるジェイコブス音楽院には世界から数千人の学生が集っているが演歌を聞いた回数では息子が1番だと思う。

♪ざまあ・あん・あん・・ああーみろ―♪

このメソッドがのちに開花するとは誰が予想したであろうか。しかし監督はわかっていた。演歌にはチェロの音色が最もよく合うのだ。だから最強のメソッドになった。

 

監督の夢 それは将来息子のステージに立って、息子のチェロ伴奏で日本の演歌を歌ってみたい!

それを話したら息子は「はいはい」と言った。あいつは大人だ・・・・

監督