神戸のおばちゃまとは毎年1回電話で話をする。気が付いたら今日は1時間半も話していた。10年前神戸に住む大学の同期から、友達が美味しいお米をさがしているからと、浦佐でよく知る名農がつくったお米を送ったことがきっかけだった。それからいつのまにか年1回電話がかかり話し込むようになった。

 

学生のころ毎日通った大学の正門前にひろおがる高台に住んでおられる。話すたび関西弁(大阪弁とは違う)に戻り、学生時代お世話になった友達のお母さんと重なる。神戸女学院に通うその友達の家に行くたびに、そのお母さんに「しっかり食べてるの?大丈夫?」といつも確認するように聞かれた。

 

この神戸のおばちゃまとは健康の話 お孫さんのはなし ヨガや整体の話 経営されている会社の話 そして 「従業員さんにしっかりお給料はらいますからあたしたちにはのこらへんのんよ。せやけどお米は贅沢させてもらいます。」と面白いジョークをとばす。

今日はお孫さんの受験事情のはなしに熱が入った。 女学院をはじめ灘高 甲陽 六甲、そして関学と私立中学受験のメッカであるから、すごい塾の数。監督が学生のころアルバイトをしていた進学塾も今や分裂をしていくつかが競合状態。

「お友達と会うとね、もうみんな口をひらけばどこに行ったん?どこの中学?と聞かれてて、まいってしまうわ。」

 

母校のある西宮の高台はこういう優しくて頼りがいのあってそして知己に富んだ、話が切れないおばちゃまたちに暖かく見守られる風土があった。治安もモラルも景観もそして教育環境もそういう人たちに支えられていた。最近、関西学院の正門から阪急西宮北口までの一帯にどんどん若い世代が入ってきていると聞いた。誰でも住めない山の手だが、彼らもよくこの地の魅力をわかっているのだろう。関西であの地域に住みたくない人はいない。

 

実は監督はこの神戸のおばちゃまとは会ったことがない。しかし親戚のおばちゃんと同じように思っている。いつまでも元気でいらしてほしい。お孫さんたちと出来る限り楽しい時をすごし、すごい影響をあたえてやってほしい。

 

このおばちゃまにどこかいつか道であっても、互い知らない人として通り過ぎるだけだ。会ったことが無いし見たこともないから。しかしこの不思議な縁は、挨拶を単にかわすだけの多くの隣人とは決定的に違う。とても大切な縁なのだ。名農の作った南魚沼こしひかりのおかげかな。10年前の秋、あの日送ったコメが普通の味なら1年で終わった縁だったはずだから。

                                                                             監督