生徒に対していつも一方的に何かを伝えようとしていることが多いのに、まれにジワーとそしてほんのりと感動を受けることがある。

ケーズ1

ある長高の生徒

監督の質問に直向きにこたえようとし ミスを指摘すると直向きに見つめようとし それを説明するとまた直向きに聞き入っている。

抜群の成績であるにかかわららず、自分の課題や弱点を感覚鋭く見つめる。まるでお勉強をはじめたばっかりの小学1年生のように。

そして笑顔を絶やさないのだよ。素晴らしいじゃないか!

「ああ この子はポテンシャルが大きいなあ。」とつくづく感じた。

 

ケーズ2

歴史の大好きな六高生

確か模試で新潟県で1番とか2番 知らないことはなかった。入試英文で歴史関連だと監督は教えるんじゃなくて質問ばかりする日もあった。だって何を聞いても知っている。そして説明がうまいから面白くなる。

「おまえさあ 大学で本格的に歴史をやったらそのうち機会ができて大英博物館とかその辺までいくことになるんじゃいか。」

目を輝かして「はい。行ってみたいです。」

そう答えた。

 世間や進学校では、国立や難関私立大に入る生徒のことを「いい生徒」と言うのかもしれないが、監督のいう「いい生徒」はちょっと違うんだな。成績をはなれたところでも、ほんのりと、しかしずっしりと感動をあたえてくれる生徒のことをいうのかな。

もちろん彼らは国立や私立の難関大に進んだ。長高の生徒の方は「気の毒な生徒が出るから私立は受けるな」といったくらいだった。

 

今日言いたかったのは全然次元のちがう大切な魅力のことだよ。真価だよ。 監督の前を通り過ぎて行ったこれらの若者たちの。

                                                                                監督