息子がホノルルのイオラニスクールにいたころ、同じ高校に通う女の子のフラを見たことがあった。息子たちのチェロ演奏の合間に5分ほど合唱にあわせてリハーサルでおどった。
監督はそれに引き込まれてただ見とれていた。
現代フラが恋をテーマにしたり、波やそよぐ風を表現していることは知っていた。それまでに何回か本場のフラをみてきた。男性、女性のプロのパフォーマンスをね。でもこの娘のフラはちがってみえた。おどろいたんだ。合唱隊がメインのパフォーマンスのため、その女の子は指揮者用の小さなステージに立った。だから下半身はステップを踏めない状態で、上半身だけで表現した。最初、その子は緊張を抑えるためだろうか・・顔を両手で覆ってこわばった表情を隠そうとした。 直後、合唱と演奏が始まると凛とした表情になって斜め上を見据え、踊り始めた。遠くからワイキキの海岸にたどりつく波、やさしく静かにうねる波, つつむような浜風、さわやかに香る椰子の実・・・
そして愛する人を慕う思い・・・波の音が聞こえるような錯覚におちいった。二の腕から肘、そして指先まで連なるしなやかな動きはまさに波、そして風をみるようだった。
監督は涙で前が見えなくなった。ほんの数分の出来事だった。
リハーサルが終わると一瞬シーンとなって、それから大歓声がおこった。その娘は笑顔で周りに手を振った。主役でないことをわきまえるかのようにすぐステージを降りた。
大歓声と拍手がしばらく止まなかった。拍手がまるで浜辺に押し寄せる波の音に聞こえるほどの余韻だった。
監督

