お勉強ができる子供の3つの条件

(1)地頭がある程度いい

(2)学習習慣が小学時代にできている

(3)お勉強に向かう姿勢をうまく誘導するいいお師匠さんに早い時期に出会う

これは学校の先生であるべきだ。 だから「先生」と呼ぶんだろう! 子供の人生を決定づける位でないと「先生」と呼べないな。

 

さて「お師匠さん」と呼ぶにふさわしい先生とは、生徒から一生心の中で感謝をされあがめられる存在だ。そういう師匠から幼いながら子供は何をまなぶのだろうか?

 

その1 学び(お勉強)の真剣さ 

その2 先生への尊敬からくる素直で従順で(ここ大切)、そして強いお勉強への意欲

その3 お勉強が進む時の喜び

最後に お勉強での成功体験

こういう型は小学時代に出来上がるものだろう。 これができた子供はその先受験でも主体的に踏ん張れる。一生頑張りが効く。

 

監督自身の経験を話そう。地頭は別として小学4年生(11歳)の時、「師匠」に出会った。そしてすべてが激変した。もう必死で担任の先生についていった。一言も聞き漏らさず言われたことの倍も3倍もお勉強をし、翌日提出した。先生は毎朝積みあがる生徒のノートを、まるで初めて見るようにまぶしく見つめ、きれいな赤い字でコメントをいっぱい書いて褒めてくださった。それを読むのがうれしくて、そして子供心に「誉(ほまれ)」の感じてお勉強に没頭した。3年まで体育と音楽以外オール3だった監督は3学期は委員長だった。

 

当時は体罰の時代だったから時々殴られた。ただえこひいきをしないし、善悪がはっきりしてすかっとほっぺたをはられたもんだった。ある意味緊張感をもってお勉強だけでなく、体育の時間も音楽の時間も全力でやった。

褒められても叱られても100%心酔して「師匠」についていったということかな。

父兄参観の時、尊敬しているその先生が監督の母親に対してとても礼儀正しくある意味での緊張感を維持しながら言葉を選ぶように丁寧にお話をしてくださった。 そばで背筋を伸ばして話を聞きながら先生の人となりを感じ、かえって威厳を覚えたたことを思い出す。

こんな1年を過ごせば子供は変わるに決まっているよ!一生ものの何かをしっかり植え付けていただいたんだ。

だからこの先生こそ「師匠」と呼ぶにふさわしい存在なんだ。

 

あの一年間で「ああ自分にはエネルギーがあるんだ」と言う事を知り、「攻める」喜びを味わった。 そして「お勉強」の大切さを学ばせていただいた。 監督のお師匠さんは、紛れもなく小学4年生の時の担任の先生だ。

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