監督の好きな言葉に
「60億の子に60億の母あれど、わが母に勝る母なし」(親のこころ・木村耕一編)
というのがある。
監督の母は20年近くパーキンソン病で苦しみ最後は舌が巻き上がり微かに瞼だけ動かせる状態でこの世を去った。 最後の数年間は浦佐に来てもらって自宅介護をした。
新幹線で浦佐から毎日東京に通っているような破格の待遇で勤務をさせてもらっていたが会社を辞めるときは全く躊躇がなかった。それには一つの理由があった。
「もし自分がこれだけ苦しんでいたら、子供の頃熱を出した時、そばで看病してくれたように、母はつきっきりで面倒を見てくれるに違いない。だから一人息子が全てを投げうってでも母の面倒を今こそ見ないでどうする!」 それだけだった。
だから決めた通りにした。毎日おしめを替えて、お風呂にいれて、多いときは夜5回もトイレに連れていった。車椅子にのせ散歩にいったり食事を作ったり、下の世話に失敗しベットと畳を庭に出してアメリカ人の妻と2人で大掃除したこともあった。
はじめて母を抱き上げてお風呂に入れた時はつらかった。痩せこけた母を目の当たりにし衝撃を受けた。無理に大きな声で湯加減をきいて体を洗って
「母のほうがつらい。こんな姿を息子にさらさねばならないとは」と感情をおさえた。
母は「ありがとう。いい湯加減やわー」と関西弁で2回言った。
母は泣いていたかもしれない。 監督はあの時顔を見つめることができなかった。
母の力とは何ぞや。子に注ぐ無限の愛情である。これほど尊く心強くそして心地よいものはない。母の手紙、母の電話、母の心配、母の笑顔、母の喜ぶ声、そして母の温かい手・・・すべてが子をつつみ、子を育む。瞼しか動かせなくなっていた最後の1年くらいは、監督(息子)ががそばにいることすらわからなかっただろう。それでもそんな母から発せられる「母の力」は健在だった。死して15年に届こうとしているがなお揺るぎない。
「母の力」とは何ぞや。母が子に注いでくれた無償の愛であり、それこそ子が母を慕い永遠に感じ入る母への恩ではないだろうか。人にやさしくなれる源泉ではなかろうか。
「60億の子に60億の母あれど、わが母に勝る母なし」(親のこころ・木村耕一編)
監督の好きな言葉だ。
みんな、お母さんを大切にしてください!
監督

