大学受験も高校受験もおなじことがいえる。今こそ、徹底的にやらないといけないというのにさほど打ち込めない。決定的に量をこなしていかないといけないというのにそれができない。面白いほど一気に結果を出せることもなく、成功体験を積むことなく、要するに自分の限界や地力を知ることなく終わっていく、もったいないけれど。

どうしてだろうか・・・

要するにお勉強はやるタイミングとその量だ。もちろんお勉強の質は絶対だが、それはお勉強をしっかりする前提があってはじめて質というものが全面に出てくる。だから、まずをもってやらねばならない量をやらねばならないタイミングでやれるかどうかということだ。ただ誤解のないようにいっておきますが、受験が迫ったタイミングだけお勉強をするということではないよ。特に大学受験は「進学校」でおこなわれているとおり3年間、土日もないくらい量をやらされる。お勉強を日々つみあげるということは大前提だからね。その上にさらに強化する時期やタイミングがあるという意味だよ。

 

さて、やるべき時にやるべき量をほとんどのこどもはできない。やらねばならない子供ほど、やらねばならない時期だというのにできない。なぜなんだろう。なぜタイミングをのがしていくんだろう。なぜ変化を起こせなんだろう。

理由はこうだと思うな。

「頭が悪い」のではなくお勉強をするという行動力が中学生や高校生になっているのに形成されていなんんだ。それはつまり筋トレをしてきたことのない運動部の生徒にいまこそバーベルを持ち上げろといってもピクリともしないし、泳ぎこんだことのない生徒に今日から3000メートル泳ぎなさいといってもプールの端に座って両足をつっこんでバタバタしているだけだろう。水着に着替えてね。かわいいなあ・・「塾に行っているけれど成績がかわりません。」現象さ!

お勉強もそういうことなんだよ・・・きっと。

 

お勉強をさせる「行動力」 つまり「お勉強馬力」が小さいのだよ。

それはつまりね、学習習慣が培われていないということでわかっていてもエンジンがかからないということなのね。

 

昨年国立難関大に合格したある生徒が、親と横浜の有名クッキーをもってあいさつに来た時(他の講師に渡さず監督が一人で殆どたべちゃった!)、監督はお母さんに一つだけ聞いたんだ。

「小学時代どうやってこの子のお勉強を見ましたか?」

そのお母さんは、しばらく考えこんでしまったなあ。そして話し始めた。

「私は夜勤が頻繁でこの子の勉強はみてやれなかったし、主人も勉強を教えるようなことはしなかったのですけれど、今振り返るに主人は毎日この子が宿題をするときそばについていました。それからよく本をよんでやっていたようにおもいます。」

この子はその6年間で親から

「お勉強馬力」をつけてもらったんだよ。

まさかこの馬力が数年後全国勝負で勝てる原動力になっていたとは当人たちも知る由はなかっただろうけれどね・・・

すばらしいプレゼントをもらっていたよね。この娘は。                         監督