かぶせる教師編

南魚沼にある高校で、けつの青い教師が、宿題かなんかをしていなかったかなんかの理由で、新入生の女子に向かってみんなの面前で「死ね」と言った。うちの3年などは「ああ‥あの若い先生ですか、熱心さから、燃えちゃったというか気合が入りすぎて・・言葉をしらないというか」

さすがに生徒の方が大人で、教師の器を見越されていた。

愛情から叱るのか、管理を強いるために恫喝するのかは先行きが決定的に違ってくる。叱られた方は「自分のために先生が言った下さった」とは100%思えないからだ。だから効果はでない。仮にそういう指導の畳みかけで「かぶせる教育」がなされたとしても辛抱と洗脳された生徒がそこにいるだけで自らの意思は叩きのめされていく。

そういう生徒は仮に大学に入っても伸びない。最も大切な時期に自分でレールを敷いてこなかったから。

 

寄り添える教師

別の南魚沼の高校で転勤してきた国語の教師がいた。うちの生徒で難関校狙いのものがいて英語も社会も偏差値は70近くまで届いたがどうも国語が悪い。そこを本人ともども課題に挙げていた矢先、その教師が3年の担当になった。

受験指導は極めていい加減、教科書も終わらないことがよくある高校だが、この教師は

時間をとって最後まで「頑張ろう!」と受験指導をくり返した。

学校の特編など一切受けずに監督と2人で徹底して進んできたこの男子は、その教師の国語指導に感謝し「素晴らしい先生です!」と何度も言った。当然国語は大きく改善した。残念なことだがこの高校ではこういう話は例外中の例外だけれど・・・

 

さて「かぶせる教師」と「寄り添える教師」

教師諸君よ!生徒たちが君らのことを「先生!」と呼ぶときその声に微かな、しかし深い響きを感じ取れているだろうか。それが感じ取れないようでは教師は失格だよ。なによりそういう関係でいくら指導しても叱ってもだめだから。

一方、目を輝かせて「先生」についてくる生徒がいたら教師としてのノウハウと経験の全てをかけて指導をしてほしい!それこそ天職だから。

                                                       監督