監督達の頃は、中学の音楽の試験は毎学期ごとに課題曲を一人一人先生の前に出て歌わされ、リコーダーも毎学期ごとに一曲演奏させられて成績がついた。筆記はなかったように思う。 うちの生徒は良く知っているが、監督母方の遠縁の祖先に、あの大作曲家のベーーとう!べん大叔父様を持つくらいの家系なので、小さいころからヤマハ音楽教室にかよい

♪ 小鳥がね

  お窓でね

  おしりをふりふり うたってる

  ・・・・・・・ヤマハ ヤマハの音楽きょうーしつー♪

早期音楽教育を施されてきたから音楽の成績はいつも「5」だった。

とくに小学校の頃はハーモニカ、中学ではリコーダーが得意でよく給食の時間に放送室に呼び出されノーギャラで演奏をさせられたものだ。

当然、中学の音楽のリコーダーの試験は「完璧」か「どこかで高音がクリアーに出なかったか」という周りとはおおよそ違うレベルの出来栄えだったように思う。

 

そういう音楽の時間の思い出としてわすれられないのはなんといっても中3の時のリコーダーの試験の日のこと。休み時間にみんな音楽の教科書とリコーダーをもって3Fの音楽教室に移動する。監督は一人の友人にいつものようにニコニコして近づいた。その友達は少しいぶかったが、隙を与えず仲間たちとはがいじめにしていきなりリコーダーを取り上げ3Fの窓から投げた。

「あ!あああああ・・・・なにすんねん・・・」 

友達の声が響き渡った。

リコーダーは快晴の空の下、くるくるまわりながら誰もいないグラウンドにおちていった。

友達は血相をかえて我々の羽交い絞めを振り払って教室をかけだした。

ごめんな 悪いことをした。でも楽しかったなあ・・・

監督は委員長のバッジをつけていたように思う。

だからその後先生のびんたを食らった。

 

監督