昨日あるうちの生徒が

未熟センサーをONにしたとはなした。

同じことがあった。長高で一桁だった生徒が、希望の難関国立でA判定がついて褒めたら

「全然よくないです」という。

「なんで」と問うと

「全国偏差値はいいんですけれど校内偏差値が良くないからなんか喜べません。まだまだですね」ときた。

学年平均が全国平均を大きく上回るからいつも校内偏差値が下がる。

そういう環境下でいつも「自分はまだまだだ」と常時意識できる環境だから、日常的に「未熟センサー」が働く。それが監督のいつもいう「競争エンジン」の燃料となりフル回転にもっていく。結果校内でも全国でも偏差値を高位に持っていく。 KJとは全く違うエンジンの回し方があるから競争率がKJの倍なのだ。

 

今日は親の「未熟センサー」編

未熟センサーの全く働いていない親は、子供の成績がパッとしないのは自分のせいだと心底、全く、全然、認識できていない。つまり受験というステージに子供が立ってパフォーマンスをしないといけないいけけれど,うまく踊れない。歌は下手だし、踊りダメ。下を向いて観客も見られない。それでも一生懸命練習するがうまくなれない。舞台監督に毎日怒鳴りつけられる。 実はこの舞台監督に鍛えられる前の長い時間、指導監督は「あなた」(親)だったのだ。親が小さい頃から監督責任をもっていずれは大きなステージに立たなくてはいけなくなると心して、子供の基礎体力・技・心構え、そしてステージマナーを教え込んでこなかったから、いざ世間の風にさらされる受験というステージに立つと全くをもって通用しないどころか滑稽なくらいのパフォーマンスしかできない。大学受験生なら結局お金だけ払えば行ける三流私立進学になり下がる。

 

それと正反対に未熟センサーONの親がいる。

そういう親は、振り返って見るに、自分も親にしっかり教育を受けてきた。

教育は遺伝する 知能指数のことをいっているのではない。

家庭内での教育習慣が遺伝するといっているのだ。未熟センサーONの親のもとで小さいころからじっくり家庭内学習習慣を構築した子供は幸せだ。親は自らではできない部分を補てんできる学校を選び、子供は自らの志に則ってより高い教育機関を受験する。

だからその時になって模試の点数や試験の点数に一喜一憂する愚かな親とは真逆な経緯をすすむ。未熟センサーOFFの親と子に「未熟センサー」の概念すら考えたこともない教師が巣くう教育がはびこっている。犠牲者は未来に生きる子供たちだ。しかし「未熟センサー」が効かない親子にはその機会損失が見えない。

                                                      監督

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