大学受験まであと3か月 高校高校受験まであと4か月

それぞれの受験生達は何とか点数を上げようと努力をつづける。

高校受験と大学受験は次元が全然違う。まともな大学受験は南魚沼の枠を超えて全国の高校生との学力一発勝負に出るのだからなまやさしいことではない。特に南魚沼市内の高校生にとっては。

かといって高3の今頃になって必死にお勉強をしても点数は変わらないどころかほとんどの六高生にみられるようにE判定のオンパレードに見舞われる。

なぜか?

学力がそもそも低い 地力がない、そしてお勉強の絶対時間が異常に破滅的に少ない。じゃあKJはどうか。全国の一流進学校並みにお勉強時間だけは確保している。確保というより毎日の宿題と延々と最後まで続く小テストと土曜自習登校という性悪説(KJに集まる生徒には強制的にやらせないとダメだ)に立った強制の結果だ。 しかしその進学先と人数を見れば受験の旅路はそう遠くまでたどり着けないで近場でお茶を濁しているということは否定しがたい。

さて受験の旅路,尊くも時にははかない青春の旅

この旅路は19歳の春に誰もが終えることになるのだが

一体いつ始まったのだろうか。

高校に入ってからか(KJ)

高3の部活終了時からか(六高)

違う。そうではない。もっともっと前から旅は始まっていたのだ。

 

振り返ってみよう

2.3歳のころお母さんの膝の上で絵本を読んだこと

幼稚園や保育園で紙芝居を一杯みたこと

小学校に入り一生懸命計算練習や書き取りをしたこと

図書館によくいったこと

毎日宿題をするときお母さんが(おとうさん)がそばにいてくれたこと

いつのまにか毎日の宿題が5分で終わるようになっていったこと

高学年になると工夫をして自分のノートつくりに励んだこと

作文や手紙をいっぱいかいたこと

朝日小学生新聞を毎日よんだこと

台所からお母さんのお皿やコップをかりてきて自分の実験室を作って色のお水で実験したこと

いろんなことでお父さんに質問すると始めは面白い答えで一杯教えてくれたお父さんも次から次に質問するもんだからだんだんご機嫌が悪くなったこと

小6の作文で将来の夢は「お医者さん:になって今苦しんでいるおじいちゃんのような病気の人を助けたい」と書いたら先生に褒められて教室の後ろに飾ってもらったこと

中学に上がってから普通の新聞を読むようにお父さんにいわれて毎日一面だけは見るようにこころがけたこと

家に本がいっぱいあって名作を読んだこと

中学生になって授業中騒がしくてすごい違和感を感じたこと

定期試験の点数と順位には3年間しっかりこだわったこと

部活とお勉強については一線を画したこと

いつもすべての試験は親に見せたこと

この科目はおもしろいなあと興味がわき、時々もっと上の学校に入って思い切りお勉強したいと思ったこと

わからない問題があると悔しくて何回も何回も自学をくり返したこと

塾の先生にいい点とった時「よくやった。いい子だ」といつも言われるから、そう期待していたら

学年で1番に初めてなった時「お前なら当然だ!」とだけ叱られるように強く言われてうちに帰ってから涙がこぼれるほどうれしかったこと

高校の合格発表で報告に行ったら「1年のうちに何を学びたいかをおぼろげでいいからきめてその分野のTOPレベルの大学をねらいなさい。お前ならどこにでも行けるから」といわれて「ようしやるぞ」と心に決めたこと

その話を親にしたら、お父さんが「お金のことはお父さん何とかするからお前は勉強のことだけしっかりやりなさい」とだけいってくれて、おかあさんがニッコリしてくれたこと

1年の夏、初めて全国模試をうけてあまりの成績の低さにショックをうけたこと

その模試結果を机の前に張り出して2度とこういう点は取らないと誓ったこと

部活でつかれてねそうになったらいつも立って勉強をしたこと

それでも「ああ今日はダメだ もう寝て朝早く起きてやろう」と横になる事もあったけれど

「もし明日の朝おきれなかったらどうしよう。後悔する」とおもったら急に眠気がさめて朝までお勉強したこと。

現代文や小論文模試の判定がいつもSとかAで先生から「何か対策をどこかでとっているのか」とよく聞かれたが自分でもその理由がよくわからない。ただ国語は古典は別として勉強をしなくていいのは事実だからこれは小さいころからの積みかさねかなあと親に感謝すること。

国立を目指す今、国語が強くて助かっていいるし、中学校のとき英数でわからないところを作らず来たことが役に立っていると実感すること

 

思い返せばきりがない。長く深く尊い知育の旅なんだ。親のおかげだと思う。

その延長線上に大学受験という一つの登竜門が今の自分の前にそびえ建つ。

負けない。ぜった登りきって見せる。

確かな自信を感じる!

                                                     監督