六高生のある親に聞いた話。

数年前、父兄が質問した。

「もう少し受験をしっかり指導してほしい」

校長が答えた。

「ご父兄の卒業されたころの六高とは違いますよ。」

本当に校長がこういったとしたら正しい認識だろう。

 

この発言のころから六高の進学実績は更に下がって2017年度は国公立大進学は史上最低レベルの30人だ。

考えて見れは理由は簡単だ。

南魚沼にKJができこの辺の中学生の上位150人前後を持っていかれれば六高はその分、学力の低いところからとらなくてはならない。当然その時点でもう昔の六高とは違ってしまった。問題は六高の学力が劣化しているのに世間も子供たちも全く認識せずに,六高に行っていると聞くと「頭がいい」などと愚かなことを言ってきたことかもしれない。何よりKJができた時点で学力が大きく下がっていることに何の手も打たなかった学校側に不作為のようなものを感じるな。どこの世界に100人以上生徒が入れ替わって手を打たない学校があるの? 定員が埋まればいいとでも考えてきたんだろうな、きっと。子供の将来をなめてるよな?

 今でも生徒自身も「バカじゃない」というプライドをよりどころにしているのかもしれないが大学受験で多くがその愚かさを後悔とともに知る。全国平均以下の学力で57万人が出場する全国大会の受験で通用するはずがないじゃないか。

 

今の六高において学力が低いということよりももっと大切な問題が横たわっている。

それは今日のテーマ

「六高生の忘れもの一つ見~つけた!」にある。

忘れ物はね、

学習習慣をどこかに忘れちゃったぁ!

ということだ。どこに忘れたって?

小学生のころだろうなあ。中学じゃおそいから。

花丸でごまかしてほめまくる小学校や教材や問題集型の低価格のフランチャイジー型の塾に通わしたつけが廻ってきている子供も多いのかもしれない。

 

今の六ちゃん1年の多くが中3の時の方がお勉強したんじゃないかと言われても仕方のない日々をおくっているだろう。ひどいのになると「中学の時お勉強したの?」というレベルの1年までいるはずだ。KJでもいるもの。

 

うちの高1のクラスで時間に遅れるかギリギリは決まって六高生、レインボーの教科書や辞書をわすれるのもきまって六高生。中には「鉛筆貸してください。」などという愚か者がいるよ。監督はにこにこわらって気持ちよくお貸しした。叱らない。投げ飛ばさない、殴らない。蹴らない。だってその程度なんだから仕方ない。これも学習習慣欠如の証明だから。

その昔、監督が中学2年の時英語のクラスで、ある生徒が宿題かなにかを忘れた。姫路市市内で最も恐れられていたすごい怖い先生が英語担当で、突然大きなグローブのような手で机をバシーと叩いた。いつも男子は往復びんたで張り倒されるから、先生が先に机をたたいたので少しびっくりしたが、その瞬間、机は崩壊した。気合が入るどころかシーンとなったのを今でも覚えている。監督はやさしいからPEはしない。鉛筆さえ持って来れないレベルだから当然問題集の期限管理もできない。こいつだけじゃない。六ちゃんは1か月過ぎても手をつけていないものさえいる。2年半後同じ大学受験を明確に目指している他校の生徒たちには絶対それがない。いい機会だから一緒にさせているクラスがあるがいずれクラス内で大差がつくからクラスを分けることになる。

 

今日サボると明日はきまってくる。

今日赤点をとると次は苦しくなる。

よほどの変化を起こさない限り未来は見えてしまう。

 

どうすればいいのでしょいうか?

答えはひとつ

忘れ物をさがさないと!

急いで見つけださないと。でも人の助けは借りれないよ。

いくら詳しく色や形や機種を説明しても六ちゃんのわすれものは

「学習習慣」だ。他人には見えないよ。

 

うちの息子がアメリカの高校で最も大変だった高2のころ、ホノルルに様子を見に行った。自分の部屋で立って勉強をしていた。

「何をしてんだ。お勉強は座ってしろ!」と監督が言ったら

「いや 座ると寝てしまうからこの方がいいんです!」と即答した。

監督は黙ってしまった。厳しい競争にさらされているんだなあと感じて辛くなった。

 

少し言い過ぎたかな。愛する六ちゃん達にね、今夜は。

明日はいい話をしたいな。

 

                                                     監督