4月にE判定まみれの南魚沼の高校3年生について大学受験に絶対失敗する方法を3つあげた。今日は1.2年生向けに2つの高校の特徴的傾向を書いておこう。
(1)2高ともほとんどが大学受験を目指す前に中学基礎がない
(2)六ちゃんはKJより以下のハンディーがあるのに気づい
ていない
①中学基礎がKJより15%から20%低い 長高からみると3割以上低い
②部活が週7日間やるのが六高の常識だから勉強できない
③模試の回数がKJの5分の1以下、受験指導が1、2年段階で皆無
④6月に入ってまだ教科書を開いていない科目がある始末で教科書が終わらない
(3)高校生になって2か月が過ぎたが、中3の時のお勉強時間の方が長い
(4)KJは勉強疲れがでており六ちゃんは部活疲れが顔に出る
まあこういうことかな。 大学進学を目指す高校生としては本当に情けないなあ
逆に以下の条件でやっているものもいる
(1)志望大学は国立で明確にきめている
(2)部活は一切やらない
(3)毎日4時間、週末10時間はお勉強をしている
こういうのも事実いる。こういう高1は六高では「すごーい!」となるのだろうが
KJ生から見ると
「え?何がすごいの? 普通じゃない。」ということになる。
普通のまあまあいい大学に行きたいのなら、六ちゃんは1年から少なくとも南魚市にあるKJ生より自学をしなければならない。 KJもそうだが六高の方が校内のばらつきが大きく教師だってやる気が仮にあってもどこに照準を合わせて3年間進めればいいのか決められないと思う。例えば1学期の中間試験でもうちのTOPは全科目90点をとってきている。
つまり大学受験生であるという自覚も出来上がっておらず、その努力も足りず、お勉強でなく部活を新高校生活の中心に据えたもの倍近い点である。これが2か月前同じ高校受験をパスした同級生の結果だから驚きだ。
六高とはそういうところだ。KJでもTOP10番とそれ以下は高校を変えたほうがいいくらい違うと思う。難関国立に進むという子供の学力は並大抵ではないし、その努力の総量は半端ではない。
更にもう一つの「受験に失敗する」秘訣は
六高で出来の悪いものは、自分の愚かな成績を部活のせいにできる。
「練習」がありましたとか「試合」がありましたとか・・・
言い訳になっていることさえ気づかない。
監督から言わせれば「運動会練習で・・・」も同じことだ。
自分で選んでいるくせに。
一方KJは部活は週3日で完全コントロール状態だから、部活のせいにできない。ずばり学力と地力が低い自分が悪い。そこを徹底的に毎日思い知らされる。
KJのやり方はほとんどの生徒が苦しんでいるだけで非効率きわまりないが、受験は高校間格差を超えた全国一斉の個人戦だから、その意味ではKJの在り様は受験に合致している。
この2つの高校に共通した問題点は
生徒間の学力のばらつきが非常におおきいことだ。高校を変えたほうがいい位いい加減なのが同じ制服をきて机を並べて一緒にお勉強をしている。レインボーの監督のクラスでも同じことだ。KJの中でも六高生の中でも全然レベルが違うものが一緒にいる。その地力の差といい、お勉強と受験に対するノー天気な性格といい、大きな格差がそこに横たわっている。ただレインボーでは監督が、その個々の生徒の愚かさレベルを全て把握しているから指導方法を個別に作る。だから生徒は100%改善できるが、迷門高校の授業では40人もの生徒をクラスで教師が指導しなくてはいけない。生徒間のその大きなばらつきを個別に把握できるわけがない。だから出来の悪いのが両方の高校にウヨウヨいて、KJにみられる受験指導の垂れ流し状態が続くんだろうな。
この話をするといつも思うことは
「ああ長高の教師の連中は仕事がしやすいだろうなあ・・・」ということだ。
この状態はKJと六高の競争率が長高並に上がらない限り何をしても変わらない。団体教育というものはそういうものだ。そして監督からいわせれば
競争率の維持こそ伝統の証明なのだ。
KJは1倍も超えられないレベルだし 六高も毎年ぶれてきた。
成り上がりや伝統が陳腐化劣化するようなところに、真の伝統は成立しない。
時代がますます複雑になり若者に対する時代の要請が進む。高度教育に突き進む大学受験は時代の必須事項だ。その流れの中で南魚沼の2つの高校が伝統を守り(つくり)生き残るには
- 競争率を上げ
- 中学基礎の比較的盤石な生徒を集め
- 高1の春から大学受験を視野に入れ徹底してお勉強を積みあげる
監督

